精選版 日本国語大辞典 「石川達三」の意味・読み・例文・類語
いしかわ‐たつぞう【石川達三】
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小説家。明治38年7月2日、秋田県平鹿(ひらか)郡横手町(現横手市)に生まれる。父祐助(ゆうすけ)・母うんの三男。父は中学校教師、母は1914年(大正3)に死去。岡山県立高梁(たかはし)中学、岡山市の関西中学を経て、早稲田(わせだ)第二高等学院に進んだが、学費続かず英文科1年で退学(1928)。電気業界誌『国民時論』に入り自活しつつ小説を書いた。30年(昭和5)に移民団に投じブラジルへ渡り、半年後結婚を理由に帰国。その経験をもとにして『蒼氓(そうぼう)』(1935)を執筆し、それが第1回芥川(あくたがわ)賞(1935)を受けた。翌年梶原(かじわら)代志子と結婚。38年に『生きてゐる兵隊』を発表して発売禁止。その前年発表の『日蔭(ひかげ)の村』は、ダムで水没する小河内(おごうち)村の農民生活を扱った。その他初期代表作として『心猿』(1935~36)、『武漢作戦』(1939)などもあるが、41年以後はきわめて作品数が減少し、旺盛(おうせい)な作家活動は第二次世界大戦後に際だって展開される。作品のタイプに2種あり、一つは社会正義感を根底としてルポルタージュ風な技法を駆使した『風にそよぐ葦(あし)』(1949~51)、『人間の壁』(1957~59)、『傷だらけの山河』(1962~63)、『金環蝕(きんかんしょく)』(1966)など。他は「生態もの」とでも称すべき『結婚の生態』(1938)、『望みなきに非(あら)ず』(1947)、『泥にまみれて』(1948)、『僕たちの失敗』(1961)など。文芸家協会、著作権保護同盟、ペンクラブなどの中心人物としても活躍。昭和60年1月31日没。
[久保田正文]
『『石川達三作品集』全25巻(1972~74・新潮社)』▽『浜野健三郎著『評伝・石川達三の世界』(1976・文芸春秋)』▽『久保田正文著『新・石川達三論』(1979・永田書房)』
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1905.7.2~85.1.31
昭和期の小説家。秋田県出身。早大中退。1930年(昭和5)のブラジル移民体験をもとにした「蒼氓(そうぼう)」で35年第1回芥川賞受賞。日中戦争初期の南京攻略を題材とした「生きてゐる兵隊」は発売直後に発禁とされた。社会性の強いいわゆる「調べた文学」は,ルポルタージュ文学の先駆となる。代表作「風にそよぐ葦」「四十八歳の抵抗」「人間の壁」「金環蝕(きんかんしょく)」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…石川達三(1905‐85)の長編小説。1949‐51年《毎日新聞》に連載,50,51年,新潮社刊。…
※「石川達三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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