ペルシアのゾロアスター教に対する中国での呼名。拝火教ともいう。ササン朝で国教となっていたこの教えは,中国へは,北魏(386-534)の中ごろには伝来し,北周,北斉にはしだいに広まって,宮中にも信奉者を見いだしていた。隋・唐時代になると,ペルシア人やイラン系の西域人がしきりに往来したが,彼らの大多数は祆教信者であったとみられ,彼らを取り締まるため,隋代には薩保ないし薩甫,唐代では薩宝(さつぽう)という官をおいた。ちなみに北周の宇文護の小字は薩保であった。唐代では,教徒たちの拝火の殿堂である祆祠ないし祆寺は,敦煌,涼州,伊州はいうまでもなく,国都の長安に数ヵ所,また洛陽などに存在し,いわゆる三夷寺の一つであった。顔真卿の子の小字を穆護と称し,これは牧護と同じで,祆教の僧侶の意味である。唐の武宗は,845年(会昌5)の会昌の廃仏(三武一宗の法難)の際,外来宗教をも弾圧し,祆教の僧侶2000余人を還俗させたため,勢力を失ってしまったが,その余流が宋・元まで存在したことが確認されている。
→ゾロアスター教
執筆者:礪波 護
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…その主神アフラ・マズダの名を採って〈マズダ教〉,またその聖火を護持する儀礼の特質によって〈拝火教〉ともよばれる。中国においては,祆(けん)教の名で知られた。ゾロアスターの活躍時期については,前2千年紀中ごろから前7~前6世紀にわたる諸説があり,なお定説が得られない。…
…東方の中国を中心とする東アジアと,西方の西アジア・ヨーロッパとの,政治的・経済的・文化的交流の諸相を研究する歴史学の一分野。東西交通史,東西文化交流史ともいう。その叙述に,インドを中心とする南アジアと,東アジア・西アジア・ヨーロッパとの交流に関する記述を含ませる場合もある。東西交渉史の研究は,日本でも,比較的早くからその研究に着手され,特に1950年代以降急速に発達して,日本の東洋史学研究における代表的研究分野の一つとなっている。…
※「祆教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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