祇園(読み)ぎおん

精選版 日本国語大辞典 「祇園」の意味・読み・例文・類語

ぎ‐おん ‥ヲン【祇園】

[1]
[一] (祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略で、祇樹祇陀太子(ぎだたいし)が施入した樹園の意。給孤独は須達長者(すだつちょうじゃ)の異称) 仏語。中インドの舎衛国(しゃえこく)にあった、祇陀太子の園。祇陀林(ぎだりん)。給孤園(ぎっこおん)給孤独園
※古事談(1212‐15頃)二「祇園に誦経したりけるを伝得候也云云」
[三] 「ぎおん(祇園)の神」の略。
[四] 京都市東山区の祇園社(祇園感神院)の略称。また、それを改称した今の八坂神社の通称。祇園さん。
※浮世草子・傾城色三味線(1701)江戸「同道にて都にのぼり、祇園(ギオン)清水嵯峨あたご」
[五] (四)の付近の地名。また、その地の遊里の呼称。初め祇園村と称したが、近世初期以来、祇園社西門前から大和大路(縄手通)に至る四条通の両側、および南門前を祇園町と称し、祇園新地をも含めて広く祇園という。近世初頭から水茶屋に茶立女が置かれ、茶屋での密淫売が絶えなかったが、寛政二年(一七九〇)公許を得て京都の代表的な遊里となった。祇園町。
[2] 〘名〙 「ぎおんえ(祇園会)」の略。
十訓抄(1252)一〇「夜中ばかりに大蛇案のごとく来れり。頭は祇園の獅子に似たり」

ぎおん ギヲン【祇園】

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デジタル大辞泉 「祇園」の意味・読み・例文・類語

ぎ‐おん〔‐ヲン〕【祇園】

《「祇樹給孤独園ぎじゅぎっこどくおん」の略》中インドの舎衛しゃえ国にあった祇陀ぎだ太子の林苑。のち、給孤独と称された須達しゅだつ長者が買い求めた。祇陀林。給孤独園。給孤園。
祇園精舎」の略。
京都の祇園社(現在の八坂やさか神社)。
京都市東山区の八坂神社を中心とする一帯鴨川から東の、四条通りの南北両側を占め、近世初期以来の花街。

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世界大百科事典 第2版 「祇園」の意味・わかりやすい解説

ぎおん【祇園】

京都市東山区内の地名で,八坂神社(通称,祇園)と祇園町,祇園新地や周辺の祇園廻りなど一帯の総称。〈祇園〉の語は仏教でいう〈祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん)〉〈祇園精舎(ぎおんしようじや)〉に発するが,当該の地名としては,いわゆる御霊(ごりよう)信仰弘通と,八坂郷鎮守であった祇園社(八坂神社の旧称)の発展に応じて,平安時代の半ばころから用いられるようになり,人々に近しくなった。このあたりの地は祇園社領として,平安時代末期より門前町化の萌芽を示していたが,鎌倉時代に入ると祇園社の南(正面に当たる下河原,八坂の方面)と西(西大門に面する四条通の方面)とを中心にしだいに市街地化しはじめ,ことに西方での人家の増加がいちじるしかったようである。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「祇園」の意味・わかりやすい解説

祇園
ぎおん

京都市東山区の一地区。四条通が東山山麓の東大路に突当るところにある八坂神社の西門前から西は鴨川までの四条通南北一帯をさす。地名は八坂神社がかつて祇園社と呼ばれたことに由来。祇園社は貞観 18 (876) 年の創建と伝えられ,鎌倉時代に鳥居前町が発達したが,応仁の乱後衰退。江戸時代初期から再び祇園社や清水寺などの参詣者を相手に茶屋が並びはじめ,中期には遊里として認められ,以後歓楽街として発展。現在も茶屋,料亭,バーなどが多い。京都では八坂神社を「祇園さん」,茶屋町を「祇園町」と呼び分けることもある。大みそかの夜から元旦にかけて八坂神社に詣でる「おけら詣り」や,7月の祇園祭でにぎわう。

祇園
ぎおん

広島市中部,安佐南区の一地区。旧町名。 1972年広島市に編入。太田川放水路の西にあり,広島の住宅地化を最も早く受けたところの一つ。かつて野菜栽培や酪農の盛んな近郊農業地域であったが,造船所関連の企業や工場が進出。現在は市街地化している。

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