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1854年3月31日(嘉永7年3月3日)神奈川で調印された日米和親条約のこと。日本の開国の第一歩となった条約である。アメリカ側の全権は東インド艦隊司令長官ペリー,日本側の全権は儒役林韑(あきら),町奉行井戸覚弘,浦賀奉行伊沢政義,目付鵜殿長鋭。全12ヵ条で,翌55年2月21日(安政2年1月5日)下田で批准書を交換し発効した。おもな内容は以下のとおりである。条約の中心になるのは,アメリカ船に薪,水,食料,石炭などを供給するために,条約調印と同時に下田を,1年後に箱館を開くことを定めたことである。この両港ではアメリカ船が必要な品物を購入することも認められており,これは,のちの通商開始への足がかりとなるものであった。また,他国人が日本政府からアメリカ人に与えられていない権利を獲得した場合は,それは直ちにアメリカ人にも適用されるという片務的な最恵国待遇の条項が定められた。この不平等条項は,58年(安政5)調印の日米修好通商条約の個条にそのまま引き継がれた。このほか,漂流民の救恤についての諸条項,下田でのアメリカ人の遊歩区域の規定,やむをえない事情がある場合は,調印後18ヵ月を経過したのち,下田にアメリカ官吏の駐留を許すという条項がある。この和親条約は,ペリーの艦隊の威嚇の下で,武力衝突を回避するために,幕府が調印を余儀なくされたものであった。この事情から,幕府は当初は条約調印の事実のみを公表し,条約書の内容は朝廷や大名には秘密にした。条約書全文が公にされたのは,55年9月(安政2年8月)になってからであった。日米和親条約の調印に続いて,幕府は54年10月14日(嘉永7年8月23日)日英和親条約に調印し,イギリスに長崎,箱館を開き,55年2月7日(安政1年12月21日)には日露和親条約の調印を行い,ロシアに下田,箱館,長崎を開いた。また,オランダとも56年1月30日(安政2年12月23日)に和親条約を結んだ。
執筆者:小野 正雄
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…対外的に鎖国をつづけていた封建日本が,欧米の先進資本主義列強に近代的な国交・通商関係を強いられ,不平等条約の締結を起点として資本主義的世界市場と近代国際政治のなかに従属的に包摂されたこと。
[条約の締結]
日本の開国は,1853年7月(嘉永6年6月),浦賀に来航したペリー提督が率いる蒸気艦隊に威圧された幕府がまずアメリカ大統領国書を受領し,翌年(安政1)3月,再度来航したペリーとのあいだに日米和親条約(神奈川条約)を締結したのを発端とする。以来,幕府は,イギリス,ロシア,オランダとも和親条約を結び,外国船の寄港と補給のために下田,箱館,長崎などを開港したが,なお自由な通商貿易を認めてはいなかった。…
※「神奈川条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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