南北朝時代に南朝の柱石であった北畠親房(きたばたけちかふさ)の著。親房は本書の初稿本を1339年(延元4・暦応2)常陸(ひたち)国(茨城県)小田城にあって足利(あしかが)方の軍と対戦中に執筆し、43年(興国4・康永2)常陸国関城でこれを修訂した。1339年は後醍醐(ごだいご)天皇が崩じ、後村上(ごむらかみ)天皇が若年で即位した年で、親房は、後村上天皇とそのごく側近の人々を対象として、天皇の修身・治政の参考に資することを主目的として本書を著し、修訂にあたって、より広い一般人士に読まれることを期して、これらの人々への訓誡(くんかい)を加えたとみられる。
本書は神代から後村上天皇までの時期を扱う。著述の思想的原理は、度会神道(わたらいしんとう)を受け継ぎながら仏教や儒教をも取り入れて形成した親房独自の神道思想である。日本を神孫君臨と神明擁護が変わることなく実現する世界に例のない国とみなす神国論、神武(じんむ)天皇以来皇位が正しい理に従って継承し来った、そして現今では南朝こそが正統だとする皇位継承論・南朝正統論、政(まつりごと)の担当者は神孫たる天皇家と藤原氏とに限定されるとする政体論、治政は正直・慈悲・智恵(ちえ)の三徳(ほとんど知・仁・勇の儒教的三徳と同一視される)を具現化したものでなければならぬとする政道論、臣民の君(天皇)への奉仕を最高の道徳とする道徳論、歴史を皇祖神の意志や計らいの顕現とみる歴史論などが、神道思想を前提にして示される。近世・近代の思想界に大きな影響を与えた。
[玉懸博之]
『岩佐正校注『神皇正統記』(岩波文庫)』▽『山田孝雄著『神皇正統記述義』(1932・民友社)』▽『平田俊春著『神皇正統記の基礎的研究』(1979・雄山閣出版)』▽『我妻建治著『神皇正統記論攷』(1981・吉川弘文館)』
南北朝時代に北畠親房が著した歴史書。3巻。神代から後村上天皇即位までの歴史を,簡潔で力強いかなまじり文で叙述し,広く読まれた。摂関家藤原氏につぐ門地を誇る村上源氏の一門に生まれた親房は,後醍醐天皇に仕えた後,いったん出家の身となったが,建武新政の下で政界に復帰し,新政崩壊後は吉野の朝廷の中心として活動した。1338年(延元3・暦応1),親房は関東の政局を打開するために海路伊勢を出発したが,途中暴風にあって常陸国に漂着した。その後,関東を転戦しながら南朝軍の組織拡大につとめた親房は,戦陣の閑暇に本書や《職原鈔》を書いた。本書は,39年小田城で完成したが,その後も補筆が加えられ,親房は43年(興国4・康永2)に大宝城で修訂を終えた後,関東での活動を断念して吉野に帰った。戦陣で書かれたこの史書は,後醍醐天皇の皇子義良親王(後村上天皇)のために書かれたと考えられているが,近年は結城親朝ら関東の武士に読ませるために書かれたとする意見も強い。
本書は天皇の絶対的な権威を説き,補佐の臣とともに進められる政治のあり方を論じたもので,まず冒頭に,神代の物語の要旨を掲げて日本国の基本的なあり方を示す。ついで人王の時代に入るが,そこでは神武天皇以下96代の天皇について,代数,世数,称号,諱(いみな),系譜上の位置,即位の年,改元の年,都,在位年数,享年という10項目を記していくという当時の年代記の形式を枠組みとしながら,各項目の間に親房独自の論評を適時挿入するという形になっている。親房の思想的な立場は,儒教と律令を中心とする公家社会の正統的な学問と,新興の伊勢神道の国家・天皇についての思想に支えられており,後醍醐天皇の時代についての論述には,内乱期の公家の政治思想があらわれている。史書として注目されるだけでなく,ことばや文体の面で,文学史上重要な位置を与えられている。
執筆者:大隅 和雄
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南北朝期に北畠親房(ちかふさ)が著した歴史書。3巻。1339年(暦応2・延元4)南朝の退勢を立て直すために親房が寄寓した筑波山麓の小田城で完成し,43年(康永2・興国4)に修訂。神代から後醍醐天皇が没して後村上天皇即位までの歴代天皇の即位・改元・享年などを記し,皇位継承の経緯をのべる。とくに後醍醐天皇にかかわる部分に力がいれられており,南朝の正統性を独自の政道思想によって主張する。天皇の超越的性格を三種の神器の徳とあわせて説き,神国思想を強く打ちだしたことは,後世に大きな影響を与えた。国学院大学・白山比咩神社所蔵本は重文。「群書類従」「日本古典文学大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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…親房は,この書に集成した神道の知識をもとに,神道の理論化を試みて《東家秘伝》を著し,神々に関する具体的な知識をまとめて《二十一社記》を書いた。その後親房は奥州の南朝軍を組織するために常陸に下ったが,その際《元元集》を携行したらしく,常陸の城中で《神皇正統記》を著すにあたり,本書を資料としたことがわかっている。本書の書名は,《倭姫命世記》に,神道の極致を示すことばとして〈元元入元初,本本任本心〉とあるのによっている。…
…建武政権崩壊ののち,足利軍優位のなか,東国に南朝の基盤を築くため常陸各地を転戦していた親房が,後醍醐天皇の死,後村上天皇の即位という局面の転換期に,常陸小田城で1340年(興国1∥暦応3)執筆した。これは《神皇正統記》成立の翌年のことであり,両書の関係は密接である。したがって官制の注釈書という形をとりつつ,この書の著作意図はそれにとどまらない。…
…北条付近の多気(たけ)には平安時代に大掾(だいじよう)氏が拠ったが,鎌倉初期に小田氏に追い落とされた。小田氏が築いた小田城では南北朝期に北畠親房が《神皇正統記》を著している。中心集落の北条は古くは筑波山の登山口で,周辺農村の小商業中心をなし,山麓南斜面にある筑波は筑波山神社の鳥居前町として栄えた。…
※「神皇正統記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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