精選版 日本国語大辞典 「神話」の意味・読み・例文・類語
しん‐わ【神話】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
神話を明確に定義づけることはむずかしい。というのは、この語は説話や伝説、あるいは現実には起こりそうにもない話など、あまりに多様な用いられ方をするだけでなく、神話の研究者の間でも用法が一定していないからである。イギリスの古典学者カークG. S. Kirk(1921― )のような大家すら、厳密な定義をすること自体が不可能であり、また無理に定義づけをするとかえって神話を理解しにくくする、と明言している。しかし神話と総称されるものが、多少あいまいではあっても、人間の文化のなかで重要な意味をもち、またその役割を果たしてきたことには疑問の余地がない。神話に学問的定義を与えるのが困難になった最大の理由は、それぞれの文化によってこの事象に微妙な違いがあることが認識された結果にほかならない。
人間は、太古に生まれた物語を、神聖な説話として伝承してきたが、その内容は一見するといずれも荒唐無稽(こうとうむけい)で、現実には起こりえないような不思議や珍事、近親相姦(そうかん)などの不倫が続発する。しかしこれは合理的な思考ができなかったからでも、道徳を知らなかったからでもない。ただ、現在の世界の秩序や人間の生き方のルールが生まれる以前の、混沌(こんとん)とした世界で生まれたからにすぎない。人間と動物の区別もしばしば無視され、動物がまるで人間のようにふるまったり、動物とも人間ともつかない祖先たちが主人公の役を演じたりするが、これも同じ理由による。神話の物語る事件が起こった太古には、人間と動物、そして精霊などの区別がまだなかったか、あってもあいまいだったのである。
これらの説話を神聖視して伝承する文化をもつ人々にとっては、神話は人間の運命や秩序について自ら納得する真実の話として信じられ、規範として生活の細部にまで浸透していた。いいかえれば、人間はそれぞれの文化のなかで固有の神聖な説話を生み出し、かつ伝承しながらそれに則して生活を営んできたわけで、そこにはつねに神話が反映されていたといってよい。しかし、人間の営為と神話とのこのような不可分的関係は、すべての人々に同程度に意識されていたわけではない。普通、神話は女性や子供たちには秘密にされ、成人の男性だけに、みだりに口外してはならない秘伝として教えられる。しかも多くの場合、秘伝の教授には段階が設けられているので、すべてを通過して奥義にまで通暁する者の数は限られる。つまり大多数の人々は、単に習慣としてふるまうことで、無意識のうちに神話を生き、倫理や秩序を反映させながら生活しているのである。
[吉田敦彦]
それぞれの文化は固有の神話を生み出し、伝承するが、その説話や話素、話形などはほかの文化へ容易に伝わり、別の体系の素材として取り入れられることが多い。また民族の移動や文化の伝播(でんぱ)に伴って、神話そのものが別の地域に持ち込まれることもしばしばある。その場合、持ち込まれた神話は以前からそこにあった神話と混じり合い、あるいは随所にその内容を取り入れるなどして変貌(へんぼう)し、新しい神話として再生される。このような神話の伝播は、新旧両大陸がまだ地続きであった1万年以上前の、後期旧石器時代にすでに始まっていたに違いない。したがって、神話の伝播の跡をどこまでもたどっていけば、世界中の神話は互いに遠い親戚(しんせき)関係にあると極言することもできよう。事実、どれほど遠く隔たった地域の神話でも、比較すると、かならずかなりの類似点がみつかる。たとえば、フランスの人類学者レビ・ストロースは、日本の神話と南北両アメリカ大陸の原住民の神話の間に特異な類似点がいくつかみいだされるのは、両地域が旧石器時代にアジア大陸から共通の神話の基本を受け入れたためであろうと推定している。
神話が類似するもう一つの根本的原因は、神話を発生させる人間の精神の機構に、全人類共通の同一性があることであろう。これは、神話の内容がしばしば、その神話をまったく知らない人がみる夢のなかに現れるイメージやできごとと、驚くほどよく一致するという事実からも確かめることができる。このことをスイスの深層心理学者ユングは、フロイトの無意識の理論を継承しながら説明しようとした。ユングによれば、普遍的無意識は先天的な人間の心の基層であり、ユングが原型とよぶいくつかの一定の型に従った働きによって、さまざまなイメージを心のうちに発生させる。これらのイメージは、個人の経験や環境、属する文化の違いなどを反映して多種多様であるが、それでも同じ原型によって生み出されるものにはその多様性を超えた共通性があるとする。このユングの理論によれば、神話は夢と同じように、人間の心のとらえがたい最基層部の構造とその働きを知るのに貴重な手掛りとなるので、ユング派の心理学者たちはこの立場から神話を研究し、その成果を心理療法にも役だてようとしている。
[吉田敦彦]
与えられた自然環境にそのまま適応せず、環境を自己に適応させようとする人間は、環境と自己に対する関係に体系的説明を与え、それに照らして自分の行為を意味づけずには生きていくことができない。人間には因果律をとらえて合理的思考をする能力があり、それによって道具や技術、科学などが発達した。しかし、合理的にはけっして説明のつかない世界や人間の生死の意味などには、神話によって体系的な説明を与え、それに則して文化を構築してきた。
神話のなかでは日食や月食のおこる理由とか、日暮れに西の果てに没した太陽が、なぜ翌朝にはまた東の果てから昇ってくるのかとか、あるいは太陽と月は、なぜいつも昼と夜の空に別れて現れるのかなどといったような、現代では科学的に説明できるようなことにも、非合理的な説明が与えられている。だがこういった科学的な説明が可能な事柄は、神話の取り扱う問題の核心ではなく、枝葉末節にすぎない。神話の核心は、人間の存在のまさに根本にかかわるので、それに説明を与えることは永遠に合理的思考とその産物である科学の埒外(らちがい)にある。そのうえ、神話はどれも多義的である。たとえば、日暮れに西に沈んだ太陽が翌朝東から昇る理由は、古代エジプトの神話では、夜の間太陽が地下界を通り抜けながら死者の国を照らすためと説明されている。この神話は、日没と日の出の現象と同時に宇宙の構造にも説明を与え、生が持続するためには死が不可避である現実をも教えている。さらにユング派の心理学者たちは、太陽が夜の間に黄金の杯に乗って西の果てから東の果てまで航海するというギリシア神話などに、ユングが「夜の海の航海」とよんだ、人格形成のために必要な「懊悩(おうのう)」が典型的に表現されているとしている。
一方、太陽と月が昼夜別々に出る理由を、日本の神話では、あるとき食物の神が、地上で口からさまざまな御馳走(ごちそう)を吐き出して月神に食べさせようとしたのを、月神が怒ってこの神を殺してしまい、姉の太陽女神天照大神(あまてらすおおみかみ)を激怒させたためと物語られている。この神話は同時に殺された食物神の死体から五穀と蚕の繭(まゆ)、それに牛馬が発生し、それを天照大神が高天原(たかまがはら)で田畑をつくらせて養蚕を始めたと物語ることにより、農業と文化の起源をも説明している。月神の乱暴に対する天照大神の怒りは、秩序の必要を説くと同時に、純潔の処女であり母でもある女神の、流血は嫌悪するべきであるとの主張、さらに喜んで人間のために農耕を始めたという限りない人類への慈しみを表している。そして同時に昼と生の裏腹をなす夜と死が、女神の忌避にもかかわらず、世界と人類にどうしても必要であり、不可避であるわけも説明している。
人間の文化にとって神話と合理的思考とは、後者の発達によって前者が不要になるのではなく、互いに補完的な関係にある。この関係は、合理的思考の産物である科学と技術が極度に発達し、伝統的説話の形での神話が生命を失ってしまったようにみえる現代の文化においても、根本的にはなんら変わってはいない。
[吉田敦彦]
日食や月食、日没や日の出などの科学的説明には、まったく疑問の余地はない。しかし、これらの事象の合理的説明を超えた神秘的意味まで説明し尽くすことは、科学にはけっしてできない。これは、死について科学的説明をしても、感情的には悲しみを和らげるために、ほとんどなんの役にもたたないのと同様である。つまり科学による説明が可能なのは、ただその事物の合理的に処理できる一面だけにすぎない。科学は、たとえどのように発達しても、人間の文化のなかで神話が果たし続けてきた機能を無用にしたり、それにとってかわることは、けっしてできないのである。したがって、意識的には神話を信じていないつもりの現代人も、現実には神話を必要としており、神話の機能を果たすものを欠いては生きていくことができない。この必要にこたえて、現代の文化も絶えずさまざまな神話や擬似物を生み出している。科学を絶対視しているつもりの人々も、現実にはやはり自己の文化が生み出す神話、あるいは擬似神話を信じることにより、日々の行動の細部まで律せられて生きているのである。
現代文化から生まれるこれらの神話、あるいは擬似神話は、太古に起こったできごとに関する物語の形をとってはいない。そのため、これらを神話の範疇(はんちゅう)に含めることには問題があるが、それでも人間と文化にとってもつ意味とその果たす機能という点では、明らかに神話といってよい。それを信じ、それに従って生きている人々の大部分がそのことをはっきりとは意識していないという点でも、太古の神話のありようと共通性がみられる。しかも、ユングが普遍的無意識論で説明しようとした、世界中の神話に共通するイメージと発想は、これら現代の神話にもはっきりとわかる形でみいだすことができる。この点からも、やはりこれらを神話の一種と認めて、ほかの神話と比較してみることがたいせつであろう。
このように人間はつねに合理的に物事を考え行動する一方、合理的に理解することができないものの処理は必然的に神話に頼り生きてきた。人間の文化はそれぞれ固有の神話を生み出し、またそれを生活のなかに生かしてきたので、どんな文化でもその根拠となっている神話に照らさずには理解することはできない。逆に神話に照らしてみることによって、たとえば首狩りや食人のような、われわれにはまったく蛮行としかみえぬ行為にも、それを習俗とする文化のなかでは、やはり文化的行為としての意味と価値があったことが知られる。
もともと合理的説明が不可能な世界と人間の実存の意味に神話が与えてきた説明は、やはり不合理ではある。しかし、同時にほかと比較して優劣を論じることも無意味で、それぞれが固有の絶対的価値をもつ。そしてその絶対的価値はその神話そのものを生み出し、また生きた文化の価値でもあるので、人間が古来営んできたさまざまな文化の間に価値の優劣はなく、すべてが非合理で野蛮であると同時に固有の「絶対的価値」をもつことを思い知らされるのである。
[吉田敦彦]
『アレグザンダー・エリオット他著、大林太良訳『神話――人類の夢と真実』(1981・講談社)』▽『吉田敦彦著『神話の構造』(1978・朝日出版社)』▽『G・S・カーク著、内堀基光訳『神話――その意味と機能』(1976・社会思想社)』▽『大林太良著『神話と神話学』(1975・大和書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
一般に,神々についての物語。ヨーロッパの神話研究を通じてもたらされた概念で,ふつう伝説・昔話との対比によって把握される。神話(myth)が原古の神聖な真実として社会や事物を基礎づけ説明するものであるのに対し,伝説(legend)はやはり真実と認識されるものであるが,世界が完成した後の歴史的な回想を語る。一方,昔話(tale)はもはや真実とは考えられないものである。昔話は場所・時間・人物を特定しないが,神話・伝説はそれらを特定する。この相違は話に対する信頼性の強弱に由来する。ただ,そうした区別は絶対的なものではなく,神話と伝説とに区別のない民族もあり,同一の話が神話・昔話の間で転用されることもある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…同様のことは,色彩や熱‐冷,乾‐湿のシンボリズム,性交や出産などの生理的事象と浄‐不浄,秩序(コスモス)‐混沌(カオス)といった観念との結びつきについても言うことができよう。
[神話と象徴]
イメージを駆使する象徴的思考は説話においても重要な働きをしており,神話はその代表的な例である。アフリカには,次のような天地分離の神話が広く分布している。…
…世界,人類,文化などの起源についての神話をさす。つまり原初において事物が創始され,秩序が設定されたことを語り,むしろ特定の神格の波乱万丈の生涯を語ることに主眼のある〈神々の神話〉ないし英雄神話と対照をなしている。…
…日本民俗学では,口承文芸のうち,一定のストーリーをもつものを語り物,昔話,伝説に大別している。そのなかでも伝説は,ことに神話の属性のうち内容が真実であると信じられている点を受け継いでいると認められる。伝説の同義語には,中国語の〈民間故事〉,英語のlegend,フランス語のlégende,ドイツ語のSageなどがあり,それらと比較,対照されてきたが,それぞれの文化における口承文芸のあり方は必ずしも同一ではないので,これらの言葉の意味や内容も完全に一致するわけではない。…
※「神話」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新