精選版 日本国語大辞典 「私学校」の意味・読み・例文・類語
し‐がっこう ‥ガクカウ【私学校】
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明治初年、鹿児島に設けられた士族の学校。1874年(明治7)征韓論に敗れ下野した西郷隆盛(たかもり)に従い、鹿児島出身の軍人・文官のうち辞職帰郷する者が数百名に及んだが、これらの青年に一定の方向を与え指導統御するために、旧厩(うまや)跡に創立された。篠原国幹(しのはらくにもと)監督の銃隊学校(旧近衛(このえ)歩兵500~600人)、村田新八(しんぱち)監督の砲隊学校(同砲兵約200人)があり、軍事・漢学などを講じた。また諸郷に分校も設けられた。なお広くは、賞典(しょうてん)学校(士官養成所)、吉野(よしの)開墾社(旧陸軍教導団生徒を収容)も私学校に含めて考えられる。西郷派の政治結社的性格も強く、鹿児島県令大山綱良(つなよし)の積極的な支持のもと、県内の区長・戸長・警察幹部などは私学校幹部の占めるところとなった。西南戦争では、私学校派は西郷軍の中心となり、県庁全体が西郷軍の兵站(へいたん)部と化した。
[原口 泉]
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西郷隆盛らが1874年(明治7)6月に鹿児島に創設した私塾。73年10月の征韓論による政府分裂後,西郷に従って帰郷した士族の暴発を懸念して設立された。篠原国幹(くにもと)と村田新八がそれぞれ主宰する銃隊学校と砲隊学校からなり,市内や県内各郷に分校をおいた。県令大山綱良(つなよし)の協力により,運営には旧藩から県庁に引き継がれた資金をあて,県政も私学校党がほぼ独占して反政府勢力の最大拠点となった。77年西郷をかついで西南戦争をおこしたが,敗北して解体した。
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