俳優。熊本県生まれ。1925年(大正14)東洋大学在学中に松竹キネマ蒲田(かまた)撮影所の俳優研究所第1期生として松竹に入社したが、不器用なことから大部屋で10年間下積み暮らしをした。1935年(昭和10)に小津安二郎監督にみいだされて『大学よいとこ』に準主役で出演し、以後小津監督の描く小市民の生活の哀歓を演じる主役に用いられ、『晩春』『麦秋』『東京物語』『秋刀魚(さんま)の味』などに主演した。ほかには、1948年稲垣浩監督『手をつなぐ子等』、1954年木下恵介(けいすけ)監督『二十四の瞳』、1955年『野菊の如き君なりき』、1969年から始まった山田洋次監督の寅さんシリーズ『男はつらいよ』、1990年黒澤明監督『夢』などに出演し、また、テレビドラマでも活躍した。平成5年3月16日死去。
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…脚本は監督自身と名コンビの野田高梧,撮影は《戸田家の兄妹》(1941)以来常連の厚田雄春,音楽はこの作品から常連になる斎藤高順。地方から上京した老夫婦(笠智衆,東山千栄子)が血縁の子どもたちの家に快く迎えられず,逆に戦死した息子の嫁(原節子)にもてなされるという題材は,アメリカ映画《明日は来らず》(レオ・マッケリー監督,1937)に想を得たものといわれるが,召集中の小津はその映画を見ておらず,それは野田高梧の脚本に影響を与えたにとどまる。老境を迎えた両親と壮年に達した子どもたちとの関係はむしろ《戸田家の兄妹》の戦後版といえよう(もっとも,《戸田家の兄妹》そのものもヘンリー・キング監督のアメリカ映画《オーバー・ゼ・ヒル》(1931)の翻案といわれているのだが……)。…
…戦後の小津が脚本家の野田高梧(1893‐1968)と組んで原節子を初めて主演に迎えた記念すべき作品。撮影は小津との名コンビで知られる厚田雄春(ゆうはる)(1905‐92)で,笠智衆(1904‐93)が婚期の娘をもつやもめの父親役という戦後の小津映画のパターンを作った。父と娘との近親相姦的とも思える愛情を端正な画調で巧みに緩和し,あたかも欲望を超越したかのごとき雰囲気を出すことに成功した小津は,《父ありき》(1942)以来の片親の主題を,のちに《秋日和》(1960),《秋刀魚の味》(1962)などで変奏する基礎を築いた。…
※「笠智衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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