日本大百科全書(ニッポニカ) 「第五福竜丸事件」の意味・わかりやすい解説
第五福竜丸事件
だいごふくりゅうまるじけん
1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロメートルの海上で操業中の日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。同船は3月14日静岡県焼津(やいづ)に帰港したが、乗組員23名が「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(9月23日には無線長久保山愛吉(くぼやまあいきち)が死亡)。同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出され、5月には日本各地に放射能雨が降り始めた。この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がり、翌1955年8月、広島での第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながっていく。第五福竜丸は1967年廃船処分となって東京の夢の島に捨てられていたが、粘り強い運動の結果、1976年6月同地に都立の展示館が完成、保存されている。
[荒 敬]
『第五福竜丸平和協会編『母と子でみる 第五福竜丸』(1985・草土文化)』