デジタル大辞泉 「細見」の意味・読み・例文・類語
さい‐けん【細見】
1 詳しく見ること。「資料を
2 詳しく示した地図・案内書など。「五街道
3 江戸時代から明治にかけて刊行された江戸吉原の遊里案内書。遊女・遊女屋・揚屋などが記載されている。吉原細見。
[類語](1)まじまじ・じっと・じろじろ・じろり・きょろり・ぎょろり・きょときょと・きょろきょろ・ぎょろぎょろ・しげしげ・つくづく・はた・きっと・はった・明視・がん
( ③について ) ( 1 )大正五年(一九一六)まで出版されたが、初期の刊行は断続的で、一枚刷りの大絵図であった。享保以後は年々に刊行されて、享保一二年(一七二七)に伊勢屋版・鱗形屋版で初めて冊子仕立てで発行された。
( 2 )安永四年(一七七五)蔦屋重三郎が美濃半截竪型で、町筋を挟んで娼家が上下睨み合いになる新趣向の「籬(まがき)の花」を刊行し、寛政期(一七八九‐一八〇一)に判型が半紙半截に縮小されたが、上下睨み合い形式は踏襲されて定型となった。
( 3 )江戸では吉原細見以外に、品川・新宿の宿場や岡場所の細見、特殊なものとしては男色・夜鷹の細見がある。また、評判記の内容を細見に見立てた歌舞伎細見や名物細見、狂歌師細見・俳諧師細見などもある。
江戸時代から明治期まで発行された遊郭の案内書。略地図,家並図,妓楼(ぎろう)名,遊女名,遊女の階級合印(あいじるし),揚代(あげだい),芸者名,年中紋日(もんび)などを記す。遊郭の手引書としては遊女評判記の出版が先行しているが,1642年(寛永19)刊の《あづま物語》は案内書的性格が強いので細見の起りとされる。その後,遊女評判記から遊女の品評文を除き,家並図に妓名を入れた地理的案内書として独立したものが細見として定着した。初期の細見は一枚摺(いちまいずり)であったが,1730年(享保末)ごろから小型横本に,79年(安永8)から竪本(たてぼん)となり,毎年1~3回発行された。火災による仮宅(かりたく)営業中は仮宅細見を発行した。以上は吉原細見の例であるが,もちろん他の遊郭の細見も出版され,その土地の特殊性を反映させた。しかし,量的には吉原細見が抜群であり,ことに竪本以後は蜀山人,山東京伝ら著名文人が序文を執筆したことで,吉原細見をいっそう有名にした。《一目千軒》(京都島原),《澪標(みおつくし)》(大阪新町)などの花街案内書に細見風の記事があるが,改版数で吉原細見に及ばない。また,細見は浮世草子(《傾城色三味線》など),洒落(しやれ)本(《両巴巵言(りようはしげん)》など)などの江戸文学との関係も深い。
執筆者:原島 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸~明治時代に出版された遊廓(ゆうかく)案内書。遊廓内の家並みを図示し、各妓楼(ぎろう)ごとの抱え女の妓名・階級、遊興費用や男女芸者名などを掲載してある。遊廓案内書としては、遊女の容色・技芸・特徴などを品評した遊女評判記が先行したが、そのなかに挿入された地理案内が独立したものである。初めは一枚摺(ずり)であったが、享保(きょうほう)(1716~36)ごろから冊子型となった。江戸・新吉原のものが細見の代表で、享保末年から明治初年までほぼ毎年1回以上刊行され、火事で仮宅(かりたく)営業のときには仮宅細見を出すほどであった。細見とは細部を描いた地図のことで、街道案内で知られる『五海道中細見記』(1858)のように用いる。
[原島陽一]
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