空海が設立した私立学校。従来の大学や国学が限られた身分の子弟を入学させ,かつ儒教中心の教育を行ったのに対し,はじめて庶民を対象とし,仏教および儒教を教授することを目的とした。綜芸はあらゆる学問,種智は仏の智の意。創立の時期は,空海によって〈綜芸種智院式幷序〉の書かれた828年(天長5)ころと考えられる。同式幷序には,藤原三守の寄進した左京九条の宅・地によって設立したこと,仏教すなわち顕密の二教と儒教の計三教を教育の基本とすること,広く貧賤の子弟に門戸を開くことを明らかにし,さらに仏教および外典の教師を招くこと,教科目,教師と弟子への糧食の支給などを定めている。しかし,835年(承和2)に空海が没し,次いで藤原三守が没すると,綜芸種智院の維持は困難となり,空海の弟子実恵らは,同院を売却して丹波国大山荘を購入し,東寺の伝法料として施入した。こうして綜芸種智院は創立から20年程度で廃絶した。
執筆者:柳 雄太郎
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平安時代の庶民教育機関。828年(天長5)空海(くうかい)が、大学・国学に学ぶことを許されない人のために、藤原三守(みつもり)より施与(せよ)された左京九条二坊の2町余の敷地に設立した。「綜芸種智」とは、各種の学芸を教授して、大日如来(にょらい)の仏智を広め表すの意。儒教と、仏教を顕密(けんみつ)二教とみて、この三教一体の思想を教育原理とし、三教の融合的効果を期待したので、内典(仏教関係の書)と外典(げてん)(仏教以外の書)をあわせて教えた。835年(承和2)空海が没し、ついで三守もなくなったので、空海の弟子実慧(じちえ)(東寺長者)はこの院を売却して丹波国(たんばのくに)大山荘(おおやまのしょう)を買って伝法の料所とした。
[大塚徳郎]
『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店)』
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三教院とも。天長年間(824~834)初めに,空海が藤原三守(みもり)の平安京左京九条の邸宅を譲りうけて創立した学校。828年に空海が作った「綜芸種智院式并序」(「性霊集(しょうりょうしゅう)」)によれば,(1)内典(仏典)を僧,外典(げてん)(世俗書)を俗人に教授させ,僧が外典を,俗人が内典を学ぶことも奨励し,(2)俗人の学生(がくしょう)に対して身分差別をせず,(3)教員・学生ともに給食が与えられた。とくに(2)が注目された。しかし,同院における教育の実態や学生の実際の身分・階層,大学寮との関係などはほとんど不明。財源としては荘園を有していた。845年(承和12)東寺伝法会の財源とするために施設は売却されてその歴史を閉じ,かわって東寺領丹波国大山荘が成立した。
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…唐の制度を模したこれらの学校は官吏登用のための官学であり,一方,有力氏族が一門の子弟のために私学を創設する例も多く,藤原氏の勧学院,橘氏の学館院,和気氏の弘文院などがその代表的なものであった。以上にあげた学校が上流社会の子弟のみに門戸を開いていたのに対し,庶民のための学校として例外的に設けられたのが,空海による綜芸(しゆげい)種智院で,設立は828年(天長5)あるいはその数年前と推定されている。綜芸は仏・儒・道の三教を指すのかどうか明白でないが,種智は菩提心を育てることであり,彼の著作《三教指帰》からも明らかなように,仏教の教育に力を入れようとして設立されたのである。…
※「綜芸種智院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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