精選版 日本国語大辞典 「縁切寺」の意味・読み・例文・類語
えんきり‐でら【縁切寺】
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江戸時代に妻が駆け込んで、一定期間在寺すれば離婚の効果が生じた寺。駆込寺(かけこみでら)ともいう。当時、庶民の間では、離婚は原則として夫が妻に離縁状を渡すことによって行われ、妻から夫を離婚する道は開かれていなかった。この哀れな境遇の妻に与えられた離婚の方法が縁切寺への駆け込みであった。この制度は、戦国時代におけるアジール(犯罪人などが過酷な侵害から逃れるために、逃げ込んで保護を受ける場所)の制の残存と考えられる。おそらく、江戸時代前半期、尼寺(あまでら)には縁切寺としての機能があったものと思われるが、後半期になると、幕府領では縁切寺としては、徳川氏に特別の縁故の深い相模(さがみ)国(神奈川県)鎌倉の東慶寺(とうけいじ)と、上野(こうずけ)国(群馬県)新田郡(にったごおり)の満徳寺(まんとくじ)だけに限られることになった。
ことに東慶寺は、開山(1285)以来この寺法が勅許されたといわれ、「松ヶ岡御所」と称されて格式高く、豊臣秀頼(とよとみひでより)の息女天秀尼(てんしゅうに)の入寺に際して、徳川家康から改めてこの特権を許された。江戸末期まで多くの不幸な女を救い、川柳(せんりゅう)にも「縁なき衆生(しゅじょう)を済度(さいど)する松ヶ岡」などと歌われたほど有名であった。駆け込んだ女は関東地方の者が大部分であったが、そのなかでも武蔵(むさし)国、ことに江戸の者が多かった。江戸末期の150年間に東慶寺に駆け込んだ女は2000人を超えたであろうといわれる。女が東慶寺に駆け込んだ場合の離縁の形式には、寺法離縁と内済(ないさい)離縁とがあった。寺法離縁は、東慶寺の寺法を表にたてた離縁であり、内済離縁(内済とは和解の意)は、夫が妻の駆け込んだことに驚き、改めて女に普通の離縁状を渡すことによって成立する離縁である。古くは寺法離縁だけであったが、のちに寺の勧奨による内済離縁が現れてその数を増し、幕末には大部分が内済離縁であった。寺法離縁の場合、古くは離縁状は不要であったが、元禄(げんろく)(1688~1704)以後、女は男から寺法離縁状(普通の離縁状と異なる)を得ることが必要となった。東慶寺は、夫に正式の使者を派遣するなどして離縁状を出すように説得し、夫がどうしても出さないときは、東慶寺から寺社奉行(ぶぎょう)に訴え、寺社奉行所では夫を仮牢(かりろう)入りで脅して離縁状を出させた。寺法離縁の場合には、夫が寺法離縁状を出しても、女は足掛け3年(24か月)在寺することを要した。近時、満徳寺に関する研究も漸次現れている。
[石井良助]
『石井良助著「江戸の離婚――三行半と縁切寺」(『日本婚姻法史』所収・1977・創文社)』▽『井上禅定著『駆込寺東慶寺史』(1980・春秋社)』
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駆込(かけこみ)寺・駆入寺とも。離縁状を渡さない夫に対して妻から離婚を求める方法が限定されていた江戸時代に,一定期間(約3年間)尼として奉公することで,女性からの離婚を可能とする特権をもった尼寺。女性救済に活躍したといわれる北条時宗の妻覚山尼(かくさんに)を開山とする神奈川県鎌倉市の臨済宗東慶(とうけい)寺や,徳川氏と関係が深く,家康の孫千姫(せんひめ)が豊臣秀頼と離縁する際,身代りの俊澄尼が入寺したという群馬県太田市にあった時宗満徳寺が有名。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…織田信長や豊臣秀吉もアジール廃止の方針をとり,徳川氏もこれを踏襲し,幕府は1665年(寛文5)の諸宗寺院法度によって寺院アジールを完全に否定したのである。 江戸時代,アジールはわずかに縁切寺と火元入寺の制にその名ごりをとどめた。縁切寺としては鎌倉の東慶寺と上州世良田の満徳寺の二寺のみが黙許されていたが,東慶寺は江戸時代の中期にも助命嘆願の女性を救済した例がある。…
…日本の中世・近世社会に広く見られるものである。江戸時代,鎌倉松ヶ岡の東慶寺や上野国世良田の満徳寺が縁切寺として,寺内へ駆け込んだ女性に離婚の成立する慣行があったことはよく知られている。また奥州の守山藩では罪を犯した百姓たちが,その菩提寺などに駆け入り,〈寺抱え〉となることによって藩の処罰をうけずにすむ慣行が存在していた。…
…江戸時代の寺領は112貫380文。この寺は代々尼僧が住職をついでおり,そのため女性の悩みを持ちこまれることが多く,江戸時代には俗に〈縁切寺〉〈駆込寺〉と呼ばれた。寺法によれば,〈かけこみ女〉が3年間寺に身をおけば離縁ができることになっている。…
※「縁切寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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