一般に知識や徳が衆にすぐれ,範と仰がれるような人物,および修行を積んだ偉大な信仰者をさす語。特に後者は〈聖者〉とも称され,しばしば世俗の穢れを超越し,神のように清浄でいかなる誘惑にも屈せぬ心,不思議な奇跡を行う超能力などを備えた人をさすことが多い。このような崇高な人格と能力に到達するには,激しい禁欲的修行によって,肉体的・精神的修練を通過しなければならないとする観念が古くからあった。宗教史的には,特に西アジアおよびエジプトを含むオリエント世界一帯に,命がけの断食行や難行苦行を自己に課し,人里離れた洞窟や高山の石窟に籠(こも)る隠者的苦行者の存在が認められてきた。キリスト教におけるこのような例としては,エジプトの隠修士アントニウスを挙げることができる。彼の苦行は,砂漠の洞窟における80有余年にわたる孤独と飢餓との凄絶な闘いとして伝えられ,彼の没後,その墓の前には,世界の各地から徳を慕って訪れる巡礼者があとを絶たなかった。カトリック教会には,こうした英雄的な有徳の士を正式に聖人saintとして公認し,殉教者martyrとともに,聖人の号を与え,祝日を定めて崇敬する制度がある。また,聖人の徳や超自然的な力にあやかり,特定の職業や災難,さらには特定の場所や学校,施設などの建造物を聖人にゆだねて保護を乞う習慣もカトリックでは広く行われている。守護聖人と呼ばれるのがそれであり,東方正教会もコプト教会も,独自の教会暦に従って諸聖人の祝日を祝っている。一方,プロテスタント教会には,制度上も習慣上も聖人祝日は見られず,聖人崇拝に対しては否定的態度が顕著である。なお,日本仏教で聖(ひじり)とか聖人(しようにん)の尊称が用いられるのは,高僧に限られるが,それとは別に,諸国をめぐって勧進や乞食をする修行僧が,特に〈ひじり〉と呼ばれる場合がある。高野聖や時宗の遊行聖(ゆぎようひじり)がそれにあたる。
執筆者:山形 孝夫
後2世紀のキリスト教徒の間には,殉教者を聖人として崇敬する風習がすでに確立していた。最古の記録はスミュルナ教会の書簡(156以後)で,処刑された司教ポリュカルポスの〈宝石よりも貴重な骨〉を拾い集めて埋葬し,毎年忌日には信者が参集したと伝えている。聖遺物が崇敬の対象となっていること,忌日が天国への誕生日として祝われたことなど,後の聖人崇拝の基本的特徴はすでにここに現れている。4世紀までには殉教者だけでなく,高徳の生涯を送った者,いわゆる証聖者confessorも崇敬の対象となる。聖母マリア崇敬の普及も4世紀であった。聖人を追懐して信仰の模範とするだけでなく,救済の取りなし,代願を求めるようになり,さらに聖人には病気治癒その他奇跡を起こす霊力があると信じられるようになって民衆信仰の中に深く根を下ろした。5世紀,アウグスティヌスは神に対する礼拝と聖人の崇敬の区別を力説しなければならなかった。
教会は諸聖人の祝日を時間の順序に並べて暦を作った。今日の教会祝日表の原型にあたるラテラノ大聖堂用の暦は,354年にはすでに書かれていた。聖人の伝記は本来信仰を鼓舞するために教会で朗読されたのでレゲンダlegenda(〈読むべきもの〉の意)と呼ばれたが,奇跡譚の強調を通じてしだいに物語性を強めレゲンダ(伝説)化の傾向をたどった。13世紀,ジェノバ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネの編集した《黄金伝説(レゲンダ・アウレア)》は,その集大成である。聖人伝の諸場面は,絵画や彫刻に移されて教会を飾った。こうして,聖人崇拝は中世においては民衆レベルの信仰の代表的形式であると同時に,芸術の源泉ともなった。聖母マリアは別格としても,使徒その他全ヨーロッパで崇敬された聖人以外にも,地域的な信仰圏しかもたない聖人,史実との関連の疑わしい聖人もいる。例えば,聖女ウルスラはブリタニアの王女であったが大陸に漂着し,多数の乙女たちとともに純潔を守って殉教した人物としてライン地方で尊信されたが,歴史的にはその名も状況も乙女たちの数もまったく不明である。ケルンで〈処女殉教者のために〉とあるだけの碑文が発見されたのをもとに物語が生まれ,人数も9世紀には10名程度であったものが,10世紀には1万1000人と増大し,12世紀には古墓地から発掘された大量の人骨と結びついて不動のものとなった。
聖人信仰には異教や土俗信仰の混入の痕跡をとどめている場合が少なくないが,同時に,完成した形では厳格にカトリック信仰の枠の中に位置づけられていることは注目に値する。もと自然に発生した習慣だっただけに聖人認定の手続も定かでなく,死体が腐朽しないことだけでも聖性を証すると考えられ,せいぜい司教が認定するのみであったが,12世紀から新聖人認定権は教皇庁の独占するところとなり,列聖の手続や儀式も整った。17世紀には一段下の聖性をもつ福者beatus,beataの位階も設けられた。ルター以下,宗教改革者たちは一様に聖人崇拝に反対した。
→守護聖人 →聖人伝
執筆者:渡邊 昌美
聖の字は通なりと釈される。聖人は物事の根本に通じた人物。聖の字が耳を構成要素とすることから,元来は耳がよく聴こえることを意味したと推定される。雲夢(うんぼう)出土の秦簡(秦代の簡牘(かんとく))に〈人の上(かみ)となりては則ち明,人の下(しも)となりては則ち聖〉とあり,明(目がよく見えること)と聖とが対されていることも,耳聡(みみさと)いという原義から引き伸ばされて優れた知能をもつという意味が出てきたことを示唆しよう。しかも秦簡では臣下について聖といわれており,聖の語は必ずしも超越的な能力をいうものではなかった。しかし一方,戦国の諸子百家の中には,聖人に重い意味を与えようとする議論が見られる。一般的にいえば,賢人と対比していうとき,聖人は物事の創始者であり,賢人はその祖述者をいうが,具体的な聖人像は諸子のそれぞれによって大きく異なっている。儒家では《論語》に聖人の語がいくつか見えるが,その内容を詳しくは述べていない。聖人の超越的な性格を強調するのは,むしろ道家である。特に《老子》には聖人についての言及が多く,無為を体得した理想的存在としての聖人が,さまざまな方向から描写されている。同時にまた《老子》の聖人には天下の統治者としての性格が色濃くうかがわれるのである。《易経》に見える聖人も,こうした道家思想の影響を受けたものであろう。後漢時代に盛行した緯書の中では,聖人の神秘的な能力が強調される一方,聖人や聖王の革命者としての性格が重視され,そうした関係から漢の高祖も聖人の一人に位置づけられる。
聖人の性格についての哲学的な議論が交わされ,多くの文章が残されるのは,魏晋南北朝時代である。清談の中で聖人に情があるか否かが論ぜられたのは,聖人を人間的存在の最高のものと考えるか,人間的存在を超越したものと考えるかの二つの立場の違いによるといえよう。仏教が知識人層に受容されるようになると,仏陀をも聖人の一人として位置づけて,中国の聖人と異民族の聖人との差異が,両者の思想的な優劣の問題とからめてさまざまに議論される。中国における仏教受容の様相を典型的なかたちで示すものである。おそらくこのような南北朝期の聖人に関する議論に対しての儒教側からの巻返しと理解することができよう。中唐の韓愈ら以降,新儒教の形成過程で道統の観念が固まってくると,この道統を受けついだ者が聖なる存在なのだとされ,尭・舜・禹・湯王・文王・武王・周公・孔子といった系譜が強調される。日本においてもこの新儒教的な聖人の観念が定着しているといえよう。なお上述のような倫理的価値観を強調する聖人とは別に,人々に超越した技術的能力をもつ者も古来,聖あるいは聖人と呼ばれている。王羲之が書聖と呼ばれ,杜甫が詩聖と呼ばれるのがその一例である。
執筆者:小南 一郎
聖者(しようじや),聖(ひじり)ともいう。悟りをえた人。仏教の真理を悟った見道(けんどう)以上の聖者。また仏・菩薩を聖人と名づける場合もある(《大般涅槃経》聖行品)。上人と音が同一のため混用される。また上人をさらに尊んでいう場合に聖人の語を用いる。浄土真宗では歴代の法主を上人,親鸞とその師の法然を聖人とよぶ。日蓮宗でも宗祖日蓮には聖人の称を用いる。平安時代以降,民間にあって庶民教化にあたった僧に対し,聖とか聖人,または上人とよんだ例が多くみられるが,聖人と上人との間には厳密な区別はない。聖,聖人,上人に共通するのは呪術者的性格,またはひたすら後世をねがう求道者性,隠遁性であった。
執筆者:伊藤 唯真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国における理想の人格をいう。聖の字は、耳を意符(いふ)、呈を声符(せいふ)とする。未来を告げる声を聞く耳の持ち主、超人である。だから自然に推戴(すいたい)されて帝王の地位につく。堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)、湯王(とうおう)、文王(ぶんおう)、武王(ぶおう)などである。また聖人は文明の創始者でもある。伏羲(ふくぎ)、神農(しんのう)、周公などがそれである。孔子は帝王ではなかったが、最高の徳を身につけた人だから、弟子たちは孔子を聖人とよぶ。宋(そう)の道学者は、聖人になることを修養の窮極目標とした(『宋史』張載伝)。つまり聖人とは最高の人格の例示である。しかも中国にはキリスト教的人格神がいないから、聖人は神の代替でもある。カトリックの聖者(セイント)が神によく仕えた人であって神そのものでないのと、やや違う。
[本田 濟]
宗教では、それぞれの立場から、宗教的な「聖」なる価値を体現した人のことを聖者ないし聖人という。その価値の内容は宗教によって多少の違いはあるが、この世的な自己中心の立場を離れて自己を見つめ、同時に、人間を超えたより大いなる生命や力の世界を直感して、生の営みに意味をみいだそうとする成熟した情操の持ち主、という点ではほぼ一致している。
ローマ・カトリック教会では、中世以降、教えのために身を犠牲にした殉教者など、伝道に英雄的な徳行があった人物を審査して聖人saintに列せしめている。「福音書(ふくいんしょ)」関係のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネや、「書簡」の筆者のパウロ、ペテロら聖書関係の人たち、アウグスティヌスやトマス・アクィナスらの宗教思想家、修道院の聖者フランチェスコ、東洋伝道のザビエル、またバレンタインデー(2月14日)のバレンティヌスや、1597年(慶長2)に日本で殉教した26人も聖人に名を連ねている。聖人は公式の崇敬を受け、祝日も定められており、また、洗礼を受けて信徒となるときに聖人の名をとって洗礼名としたり、教会堂や病院などに聖人の名をつけたり、願い事をする場合に聖人に代願を依頼したりすると、厄除(やくよ)けになったり効果があるという守護聖人の信仰もあって、聖人は広く民衆の崇敬を受けている。
仏教でも、宗教上の偉人として神聖視され崇拝される人格という意味での聖人としては、教祖仏陀(ぶっだ)をはじめ、龍樹(りゅうじゅ)らの宗教的理想の体現者、慈悲の心の厚かった行基(ぎょうき)など、また各宗派の開祖などがあげられる。聖人(しょうにん)、上人(しょうにん)ということばがある。知徳の高い人に対する敬称で、聖人は上人よりも優れた人という感覚である。聖人は仏、菩薩(ぼさつ)の敬称で、上人は徳行の優れた高僧の敬称であるともいう。浄土真宗で、法然(ほうねん)と親鸞(しんらん)を聖人、列祖を上人と区別するほかはとくに決まりはなく、浄土宗や日蓮(にちれん)宗の系統で、高徳の僧侶(そうりょ)の敬称となっている。
[冨倉光雄]
仏・菩薩(ぼさつ)の別称が転じて、有徳(うとく)の僧の尊称として用いられるようになったもの。上人(しょうにん)、聖(ひじり)ともいう。聖、聖人とは多くは在俗の修善者に対する尊称として用いられたが、往生(おうじょう)伝や『法華験記(ほっけげんき)』などで混用されているように、聖、聖人、上人との間に厳密な区別はみられない。浄土系諸宗では上人号が用いられ、なかでも真宗では列祖は上人とよぶが、宗祖に限って親鸞(しんらん)聖人とし、日蓮(にちれん)宗でも日蓮聖人とよんでいる。
[藤井正雄]
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…彼の苦行は,砂漠の洞窟における80有余年にわたる孤独と飢餓との凄絶な闘いとして伝えられ,彼の没後,その墓の前には,世界の各地から徳を慕って訪れる巡礼者があとを絶たなかった。カトリック教会には,こうした英雄的な有徳の士を正式に聖人saintとして公認し,殉教者martyrとともに,聖人の号を与え,祝日を定めて崇敬する制度がある。また,聖人の徳や超自然的な力にあやかり,特定の職業や災難,さらには特定の場所や学校,施設などの建造物を聖人にゆだねて保護を乞う習慣もカトリックでは広く行われている。…
…習禅をもっぱらとする者)などの別があった。また,修行向上の度合に応じて凡夫と聖人(しようにん)に分けられる。聖人位はさらに阿羅漢を最高位とする四向四果の八位に分けられる。…
…一般に禅定の修行により悟るのは難行であるので,機根の劣るものは信によることを勧めるが,大乗では仏の慈悲力で,信のみでも救済されると教える。修行者は修行の段階に応じて,凡夫(ぼんぶ)と聖人(しようにん)に分けられる。聖人は準備的修行(加行(けぎよう))を終えて四諦の理を観じて見道に達したもの以上で,その後究極的完成まで修行を続けることが要請される。…
…この上人号は,後世,僧官制が乱れるとともに,諸宗や民間で転用かつ私用されるようになった。平安中期から本寺を離れて別所に隠遁したり,回国遊行して修行,作善勧進する僧が現れ,彼らを上人,聖人,聖(ひじり)などとよぶことが一般化した。上人号をもって世人から敬慕された最初は空也といわれる(《諸門跡譜》《和訓栞》)。…
…そうすると今日まで5000年を超えることになる。もちろん伏羲,黄帝以後,尭帝,舜帝,禹王(夏王朝の創始者),湯王(殷王朝の創始者),文王・武王(ともに周王朝の創始者)などの諸帝王および周公(周王朝の諸制度,いわゆる礼の大成者)などの聖人が出現して,中国文明の伝統を築き上げたとされる。尭・舜から周公までの7人の天子(周公は天子ではないが天子に準じて扱う)と天子の位にはつかなかったがこれらの先王の道を大成し後世に伝えたところの孔子,とを合わせた8人が代表的聖人である。…
… 老子の思想の根本概念は,一切万物を生成消滅させながらそれ自身は生滅を超えた超感覚的な実在ないしは宇宙天地の理法としての〈道(どう)〉である。その道の在り方を示すのが〈無為自然〉であり,それを体得した人物を〈聖人〉という。老子は形而上的道を説く一方で,現実世界で真の成功者となるにはどうすべきかという現実的観点から,聖人の処世,政治の具体相をくり返し説き,他と争わない濡弱(じゆじやく)謙下,外界にあるがままに順応してゆく因循主義の処世や,人為的な制度によらず人民に支配を意識させない無為無事の政治などを強調する。…
…修道会は教会内部の精神的な特権階級ではなく,むしろ教会全体の福祉に献身する者の集団である。 ローマ・カトリック教会が他のキリスト教会から区別される第3の特徴は,聖母マリアを中心とする聖人たちに対する崇敬である。カトリック教会には聖人たちの公式リストがあり,今日でも厳格な列聖の手続を通じて新しい聖人がこのリストに加えられつつあり,またこの業務をつかさどる聖省が教皇庁のなかに設けられている。…
※「聖人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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