江戸前期の儒者・兵学者山鹿素行(やまがそこう)の著書。3巻。1665年(寛文5)成立、翌年刊行。本書に先だち素行の門人たちによって『山鹿語類』が編纂(へんさん)されていたが、本書はその巻33から巻43までの「聖学篇(へん)」を抜粋要約したもの。刊行により、本書は幕府から「不届成(ふとどきなる)書物」とされ、素行は播磨(はりま)赤穂(あこう)に配流されることになる。本書において、かつて自らも信奉したこともある朱子学は批判され、「周公・孔子を師として、漢(かん)・唐(とう)・宋(そう)・明(みん)の諸儒を師とせず」とする古学転回後の素行学が体系的に展開され、「聖人」「道」「理」「徳」「誠」「天地」「性」「心」「道原」など28の重要語句に対して、簡にして要を得た説明がなされている。天地に則(のっと)り、人物の情にもとることなく、事業・法礼を廃棄せず、性心をもてあそぶことなく具体的な教えを述べるもの、と自ら示した「聖学」(素行学)の核心はほぼ本書に尽きているのであり、その意味において本書は「素行学原論」とでも称すべきものである。
[佐久間正]
『田原嗣郎他編『日本思想大系 32 山鹿素行』(1970・岩波書店)』
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江戸前期の儒者山鹿素行の著書。3巻。1665年(寛文5)刊。朱子学批判を含む文献としては日本で最初のもの。本書は後世の儒者の意見を退けて直接聖人の言葉につくことを眼目として〈聖学〉(儒学)について説いたものであるが,その朱子学批判が山崎闇斎を通じて朱子学を奉じていた将軍補佐役保科正之の怒りを買い,翌年〈不届きなる書物〉を著したとして赤穂浅野家に預けられ,その後の10年を赤穂で送ることを強いられた。《素行全集》《日本思想大系》所収。
執筆者:田原 嗣郎
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山鹿素行(やまがそこう)の儒学理論書。3巻。1665年(寛文5)成立。序に「聖人杳(はる)かに遠く,微言漸く隠れ,漢唐宋明の学者,世を誣(し)ひ,惑を累(かさ)ぬ。(中略)周公孔子の道を崇び,初めて聖学の綱領を挙ぐ」とあるように,儒教古典の朱子学的解釈を批判して,直接「周公孔子の道」を学ぶことを提唱している。上巻は,聖人・知至・聖学など8章。中巻は中・道・理・徳など13章,下巻は性・心・意情など7章からなる。朱子学興隆の時代に朱子学を批判した本書の刊行によって,素行は播磨国赤穂へ配流された。「日本思想大系」「岩波文庫」所収。
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…35歳ごろにはこの兵学は完成し,《武教本論》《武教全書》が主著である。40歳を過ぎるころから,当時の儒学の主流であった朱子学に疑問をもつようになり,65年(寛文5)には《聖教要録》を著して朱子学を批判したが,〈不届なる書物〉を刊行したとの理由で幕命により,66年から75年(延宝3)まで赤穂浅野家に預けられた。この事件の裏には朱子学者山崎闇斎を支持する将軍補佐役の保科正之があるといわれる。…
※「聖教要録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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