紡績技術者、ガラ紡機の発明者。信濃(しなの)国(長野県)安曇(あずみ)郡田多井村(現、安曇野(あづみの)市)の横山儀十郎の次男で、幼名を栄弥(えいや)といった。20歳で僧侶(そうりょ)となり、法名を智恵(ちけい)といい、26歳で臥雲山孤峰院住持となった。1871年(明治4)廃仏棄釈(きしゃく)の嵐(あらし)にあって還俗(げんぞく)し、臥雲辰致と名のった。足袋(たび)底を織る家に生まれ、子供のころからの夢であった足袋底用綿糸紡機発明に向かい、失敗に懲りず献身、1873年、粗糸(あらいと)しか製造できなかったが、機構が簡単な綿糸紡績機を完成した。ガラガラと音を出すのでガラ紡とよばれた。1877年に内国勧業博覧会に出品し、最高の鳳紋賞牌(ほうもんしょうはい)を受賞したが、模造品の続出となり、ガラ紡全盛期を呈したにもかかわらず、発明者は貧窮の底にあった。彼の例をあげて専売特許制度設定を説く勧業官僚もいて、改良機が1889年ようやく特許になった。洋式紡績の発展後も落綿(らくめん)利用の和式紡績として併存した。蚕網(さんもう)織機、計算器、測量器なども考案している。
[石山 洋]
『村瀬正章著『臥雲辰致』(1965/新装版・1989・吉川弘文館)』
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(村上陽一郎)
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「ときむね」とも。
1842.8.15~1900.6.29
臥雲紡績機の発明者。信濃国生れ。家業は足袋底(たびぞこ)織業で,20歳で仏門に入り,同国安曇郡の臥雲山孤峰院の住持となってまもなく還俗。1873年(明治6)臥雲紡績機(ガラ紡機)を発明し,第1回内国勧業博覧会(1877)に出品して最高賞の鳳紋賞牌を授与された。洋式紡績機が普及する90年頃までガラ紡全盛期を作りあげた。1882年藍綬褒章受章。
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