精選版 日本国語大辞典 「自殺」の意味・読み・例文・類語
じ‐さつ【自殺】
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自分の生命を自発的、意図的に奪う行為で、自己殺人、自害ともいう。英、仏語のsuicideの語源はラテン語で、sui(自らを)とcaedō(殺す)の合成語である。自殺行為は古代社会から普遍的にみられたもので、日本でも、古くは制度的な自殺(殉死)や武士の切腹(自殺刑)が知られている。近年、日本では「名誉ある自殺」や情死(合意心中)は激減しているが、日本特有な親子心中は後を絶たない。統計からみると、1989年(平成1)から1998年までの10年間の日本における自殺は全死亡の2.5%を占め、男女比は約10対5である。1970年代から1980年代の10年間と比較してみると、その10年間の自殺は全死亡の2%であったから、比率は高まっていることがわかる。しかも、1998年には3.4%と比率をさらに高めている。2007年における自殺者総数は3万3093人で、前年に比べ2.9%増加しており、1998年以降は3万1000~3万4000人の間で推移している(厚生労働省編『人口動態統計』)。
自殺手段は国民性や入手しやすい手段の差によって異なる。アメリカでは銃器による自殺が多いのもこうした理由によっている。日本では縊首(いしゅ)が多く、つねに第1位である。高所からの飛び降りも多く、とくに、高層建物からの飛び降りは急増している。服毒自殺は、1961年(昭和36)以降の催眠剤や農薬の法的規制で全般的に減少しているが、除草剤系農薬による自殺はつねに上位5位以内に入っている。1990年代になると治療用鎮痛・催眠剤やインターネットで外国から購入した催眠剤による自殺もみられる。都市ガスの一酸化炭素ガス含有量の法的規制により、ガス自殺はやや減少したが、その他のガスや蒸気による自殺は依然として多く、上位5位以内に入っている。最近ではインターネット上で呼びかけ集団自殺を行う例もみられる。一般に男性は縊首(とくに老人)や飛び降り、女性は縊首、入水といった手段を選ぶことが多く、いずれも積極的行為を選ぶ。自殺行為の結果、死ぬまでの経過はさまざまである。頸動脈(けいどうみゃく)切創による失血死のように直接的なこともあり、腹部切創後に二次的に急性腹膜炎を起こして死亡するといった間接的なこともある。
自殺の背景としては健康問題(病気、身体障害、老衰、身体的劣等など)がもっとも多く、ついで生活・経済問題である。1990年代に入ると、勤務問題がかかわる企業自殺、いじめ・不登校(登校拒否)・家庭内暴力を背景にした自殺が漸増している。また自殺前、いちおう健康とみられていた者でも、死後の剖検(ぼうけん)によって疾病異常が発見されて、病苦が自殺の背景にあったと推量されることがある。いわゆる変死体を検案する際に、遺書が存在し、その手段、方法、状況が自殺と矛盾がなければ自殺を裏づけることになるが、なかには、自殺を強要し、遺書を残させる状況もありうる。自殺は犯罪ではないが、他人に自殺を唆したり(自殺教唆)、その手助け(自殺幇助(ほうじょ))をすれば自殺関与罪となる。また、無理心中の発案者や親子心中の親が生き残れば殺人罪に問われる。
[澤口彰子]
なお、一定の制度や習慣などに従って行われる自殺をはじめ、意識や知能の障害によって自殺類似の行為が行われることもあり、また実際に事故死や他殺と紛らわしい場合も多いので、これらを区別する必要がある。
かつて哲学者セネカは「自殺は人間の特徴である」と述べたが、古代のプラトンから現代のカミュに至るまで、自殺という行為をめぐって多くの論議がなされてきた。自殺に関する研究を自殺学suicidologyという。
[岩井弘融・高原正興]
自殺の発生は時代や地域などによってさまざまに変化するが、20世紀初頭から現在までの動向を各国別にみると、1901年から1955年までを通じて自殺率(人口10万対)が高かったのは、日本、スイス、ドイツ、フランス、スウェーデンなどであり、日本は2~5位であった。日本の自殺統計が始まった1899年(明治32)の自殺率は13.7であり、明治末期から大正初期にかけて増加し、1925~1937年(大正14~昭和12)の間は20.0を上回っており、戦前・戦中期の最高は1932年の22.2、最低は戦中の1943年の12.1であった。とくに、1955年から1960年までは日本の自殺率は世界一で、なべ底景気といわれた1958年の25.7が第1のピークであった。そして、その後は減少傾向を続けて、高度経済成長期の1967年に14.2の戦後最低を記録し、1970年にはハンガリー、チェコスロバキア、フィンランド、スウェーデンなどの北欧・東欧諸国の自殺率が高く、日本の自殺率15.3は第9位であった。しかし、1980年代には再び自殺増加期に転じて、1983年から1987年までの5年間は自殺率が19.0を上回り、1986年の21.2で第2のピークを形成した。さらに、自殺者数が一挙に3万人台に増加した1998年(平成10)以降の10年間は、史上最多の自殺者数と自殺率を記録した1999年の3万3048人(26.1)を第3のピークとする自殺多発期を形成している。なお、2007年には、自殺者数3万0777人、自殺率24.4を記録している。また、世界保健機関(WHO)の2004年時調査における自殺率の高い国の順位は、リトアニア、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンであり、日本は第10位であった。
[岩井弘融・高原正興]
日本の0~19歳の年齢層の自殺者数は、2005年に男382人、女226人、2006年に男395人、女228人を記録しており、他の年齢層に比べてかなり少ない。しかし、過去に青年層の自殺が多かったことは国際的にみても日本独特の現象であり、第1のピーク期における高い自殺率の原因でもあった。たとえば1955年(昭和30)には、15~24歳の年齢層の自殺者数8231人は総数の36%を占めて、20~24歳の年齢層の自殺率は65.4を記録しており、この時期は青年期と高齢期に自殺率が高い山を示すN字型曲線を描いていた(
、 )。その後、青年層の自殺率は高度経済成長期から急激に低下し、1985年には15~24歳の年齢層の自殺者数1630人が総数の7.0%を占めるにすぎなくなった。この第2のピーク期の自殺率は、加齢とともに右上がりの直線を示す欧米型といわれている。ところで、第3のピーク期の2006年(平成18)における自殺率(全体23.7)を年齢層別に高い順で見ると、55~64歳35.3、45~54歳32.9、75歳以上29.6、65~74歳28.8、35~44歳26.0であり、85歳以上の男性の高い自殺率を除けば、55~59歳の男性の自殺率58.6が最高値を示している。そして、この時期の自殺率は、男性中年層において高い山を形成する新N字型曲線に移行しているとみることができる。とくに、自殺者数が一挙に3万人台に増えた1998年の増加数8472人のうち男性が78%を占め、50~64歳の年齢層が44%も増加し、未組織労働者、無職者、失業者が圧倒的に多いと報告されている。なお、高齢者層では加齢とともに自殺率が一貫して上昇しているが、その度合いは次第に弱まってきている。
高齢者の場合は、病苦や、配偶者などとの死別・離別によって、希死念慮がつのる傾向がある。そのために、高齢者の自殺は、産業構造の変化によって次世代世帯との紐帯が弱まり、家族・地域の機能の縮小といった「集団の統合の弱まり」による孤独と喪失を基調にしている。2007年に自殺率が30.0を超えた県は、青森・岩手・秋田・新潟・島根・高知・宮崎の7県であるが、これらの各県はいずれも高齢者層の自殺率が高く、農村の貧困と過疎が影響を与えていると考えられる。
また、男性と女性を比較すると、洋の東西を問わず、男性の自殺率が高い。日本もその例外ではないが、外国と比較すると、日本の女性の自殺率は相対的に高い。とくに、明治期から第二次世界大戦前までは、男性100に対して女性は60前後の割合であり、戦後は上昇して1970年(昭和45)には81にまで達したが、その後は下降して、2006年(平成18)には約41まで低下している。同年の女性の自殺率(全体13.2)を年齢層別にみると、20~59歳では12~15台、60~79歳では16~19台、80歳以上で概ね20.0を超えており、加齢とともに上昇する傾向にあり、その自殺率は国際的には依然として高い方である。このような日本の女性の自殺率の高さについては、日本の女性の自我の高まりや社会進出にもかかわらず、ジェンダー意識や家族・地域の前近代的な人間関係が依然として強く、女性の自立を妨げているためと考えられる。
[岩井弘融・高原正興]
自殺の古典的な研究者として知られるフランスの精神医学者モルセッリHenry Morselli(1852―1929)は、自殺の動機として、精神病、家庭困窮、病苦、激情、不徳、家庭不和、財政的失望、後悔廉恥、失望、不明の10分類を行った。日本の警察庁の動機分類は、家庭問題、健康問題、経済・生活問題、勤務問題、男女問題、学校問題、その他、不明の8つになっている。
自殺の原因については、これまで多くの学者によって論じられてきた。哲学者ショーペンハウアーは、自殺のなかに強い生への意志をみて、それが生の目標を認識しながらも達成不可能と判断したときに絶望する結果とみた。精神分析学者のフロイトは、生の本能に対する死の本能を想定し、緊張と努力から完全に解放されて、根源的・無機的状態への回帰を目ざす行為として自殺を解釈した。
さらに、精神医学の立場からは、うつ病、統合失調症、ヒステリーなどとの関係が問題とされている。アメリカの精神医学者デビッドソンG. M. Davidsonは、自殺時の精神状態として、生活目標の喪失によって意識野の狭窄(きょうさく)が生じ、調整機能が低下することを指摘した。そのほか一般に精神医学者や心理学者によって、失敗への耐性不足、現実逃避、休息願望、内罰傾向、復讐(ふくしゅう)・攻撃願望、自己顕示願望、名声保持願望などがあげられることが多い。
宗教的な観点からは、日本人の死生観なども問題にされる。生き抜くということよりも死を軽んずる伝統があり、また、厭離穢土(えんりえど)・欣求浄土(ごんぐじょうど)の仏教思想も影響を与えてきたといわれる。死を美化し、ロマンチックなものとみる傾向は、古くは近松門左衛門(もんざえもん)の心中物、明治以後では藤村操(みさお)(1886―1903)、松井須磨子(すまこ)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、太宰治(だざいおさむ)、原口統三(1927―1946)などの自殺に対する賛美や評価に至るまでみられてきた。しかし、このような思想傾向は、時代の変化とともにほとんどみられなくなってきている。
経済的な観点からは、貧困と自殺との関係が問題にされる。一般には、外国では高所得者と低所得者に自殺が多いといわれている。イギリスの社会学者セーンスバリーPeter Sainsburyはロンドンの調査において、自殺と貧困との単純な相関関係は認めがたいと主張した。これに対し日本では、精神医学者の大原健士郎(1930―2010)が、無職業者、職業不安定者に自殺が多いこと、社会学者の中久郎(なかひさお)(1927―2005)が、上位階層の自殺率は低く、低階層では高いことを指摘して、いずれも貧困問題を重視している。人口学者の岡崎文規(あやのり)(1895―1979)は、1900~1960年(明治33~昭和35)の卸売物価指数を用いて自殺と経済周期に関する分析を行い、不況と自殺の増加、好況と自殺の減少とが相関する五つの時期があり、ただ一つこれに合致しない時期(好況で自殺が増大)のあることも述べている。また中は、1948~1958年について完全失業率と自殺率を分析して、両者には明らかな相関関係があることを指摘している。
一般的には、日本の自殺の動向は経済変動に左右される傾向が強く、とくに失業率と高い相関関係にあることは、その後の双方の変化をみても明らかである。1960年代から1970年代初期の高度経済成長期には自殺率が低く、その後の低成長期における失業率の上昇とともに自殺率も上昇した。そして、バブル経済期の1990年前後からの失業率の低下とともに自殺率も低下したが、平成大不況が深刻になって失業率が4%を超えた1998年(平成10)からは、ふたたび自殺率が急激に上昇している。とくに、この時期に中年層の自殺率が高いことは、リストラ、合理化による過重労働、閉塞感や不安感の増大によるところが大きいと推測される。しかし、日本よりも失業率が高いのに自殺率が低い国もあるので、日本の自殺の分析にはその他の社会心理的要因も考える必要がある。その要因の中で注目すべきことは「働くことが美徳」という単一の日本的な価値観であり、それは自己を職業的役割に過度に同一化する態度(役割自己愛)として表れる。
[岩井弘融・高原正興]
自殺の原因と関連して、その類型化も各方面から行われている。たとえば、『自殺論』(1897)を著したフランスの社会学者デュルケームは、自己本位的(利己的)égöiste自殺、集団本位的(愛他的)altruiste自殺、アノミー的(無規制的)anomique自殺、および宿命的fataliste自殺に分け、現実の自殺にはこれらの混合型もあるとした。また、日本では心理学者園原(そのはら)太郎(1909―1982)が、防衛的自殺、懲罰的自殺、攻撃的自殺、犠牲的自殺、エクスタシー自殺、耽美(たんび)的自殺に分類した。そのほかにもさまざまな分類がある。
なお、心中は日本の伝統とされるが、そのうち母子(父子)心中のごときは、複数自殺というよりもむしろ、他殺プラス自殺である。自殺または心中に際して遺書を残すのはおおよそ全体の5分の1くらいであるが、手記型、詫言(わびごと)型、報告書型、警句型、詩歌型などがあり、弁護や虚飾もあるので、かならずしも原因を明らかに示すものではない。
[岩井弘融・高原正興]
自殺者はその行動前に無意識的に「助けの声」cry for helpをあげているといわれ、その前兆をとらえることが防止上も重要とされる。「生きていてもしようがない」とか「遠くへ行きたい」などともらす言語的兆候、また、急に黙ったり、身辺整理をするなどの行動的兆候の両面がある。
自殺防止を目的とした「いのちの電話」の福祉サービス(The Samaritans)は1953年、ロンドンの司祭バラーChad Varah(1911―2007)によって始められ、日本でも1971年(昭和46)から活発な活動をしている。
[岩井弘融・高原正興]
『岡崎文規著『自殺の社会統計的研究』(1960・日本評論社)』▽『大原健士郎著『日本の自殺』(1965・誠信書房)』▽『稲村博著『自殺学』(1977・東京大学出版会)』▽『稲村博著『子どもの自殺』(1978・東京大学出版会)』▽『布施豊正著『自殺と文化』(1985・新潮社)』▽『E・デュルケーム著、宮島喬訳『自殺論』(中公文庫)』▽『高橋祥友著『自殺の精神分析』(1994・清和書店)』▽『大原健士郎著『「生きること」と「死ぬこと」――人はなぜ自殺するのか』(1996・朝日新聞社)』▽『高橋祥友著『精神医学から考える生と死』(1997・金剛出版)』▽『川人博著『過労自殺』(岩波新書)』▽『厚生統計協会編・刊『国民衛生の動向』(2008)』
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…このようにエゴティズムの極限は社会秩序への志向をまったく欠いているので,その極限の形態は個人主義と完全には重ならない。 E.デュルケームは自殺の一つの類型に利己的自殺suicide egoïsteという名称を与えた。彼によれば,人間はひとりでは生きていく目的を見いだすことができない。…
…例えば,いわゆる植物状態からの生命維持装置の除去や脳死状態の者からの移植のための心臓摘出等は,脳機能の不可逆的停止をもって人の終期とする脳死説の立場からは殺人とはならないが,なお社会通念上大きな反発を呼んでいるのである(〈臓器移植〉の項参照)。 殺人罪に関連する特殊な犯罪類型として,刑法は,人を教唆もしくは幇助(ほうじよ)して自殺させる罪(自殺関与罪)と,被殺者の嘱託を受けもしくは承諾を得てこれを殺す罪(嘱託殺人罪,承諾殺人罪)を定める(202条)。刑は6ヵ月以上7年以下の懲役または禁錮。…
…死死の舞踏死霊【佐々木 宏幹】
[日本]
日本の死神は疫病神とは異なり,身体の健康な者を死に誘うという神である。和歌山県田辺では首つり,投身などの自殺者を見つけたときは2人以上で助けねばならない,1人で助けると死神が救助した者につくからだという。また,死神がつくと死ぬのがおもしろくなるらしく楽しそうに自殺するという。…
…1902年よりパリ大学教授を務める。おもな著書として《社会分業論》(1893),《社会学的方法の規準》(1895),《自殺論》(1897),《宗教生活の原初形態》(1912)などがある。 デュルケームは,社会的事実を,個々人の心意やそれらの単なる総和には還元できない一種独特の実在としてとらえることを要請し,これを対象としてのみ固有の方法をもった社会学が成立しうるとした。…
※「自殺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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