精選版 日本国語大辞典 「自由劇場」の意味・読み・例文・類語
じゆう‐げきじょう ジイウゲキヂャウ【自由劇場】
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明治・大正期の劇団。2世市川左団次と小山内薫(おさないかおる)が1909年(明治42)に創立し,同年11月に有楽座で第1回試演を行った。技芸員は左団次一座の歌舞伎俳優で,欧米の近代劇運動の例にならい会員制をとり,当時の文壇・画壇・劇壇の人々が参集した。演目はイプセン,ストリンドベリ,ハウプトマン,ウェーデキント,チェーホフ,メーテルリンクなどの当時画期的だった翻訳劇の上演を中心に,吉井勇・長田(ながた)秀雄・秋田雨雀(うじゃく)ら若手作家の戯曲も上演するなど多彩だった。大正期にも公演を重ねたが,19年(大正8)を最後に自然解消した。近代劇・翻訳劇の上演の定着をはじめ,演劇のみならず日本の近代芸術史に残した影響と意義は大きい。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…日本へのイプセン紹介は,92年坪内逍遥による。本格的上演の最初は1909年の小山内薫,2世左団次らによる〈自由劇場〉旗上げ公演《ジョン・ガブリエル・ボルクマン》(1896)であった。2年後の文芸協会の《人形の家》公演はノーラ役の松井須磨子をスターにし,折からの女性運動とあいまってイプセン・ブームのきっかけをつくった。…
…1874年から90年にかけて彼の劇団マイニンゲン一座はヨーロッパ各地の都市を巡演したが,その集団的演技による群衆処理と写実的な演出は,各国の近代劇運動に大きな影響を与え,数多くの新しい演出者が登場してきた。戯曲の言葉を重視し,自然主義を徹底させた自由劇場Théâtre Libreを創設(1887)したフランスのA.アントアーヌ,V.I.ネミロビチ・ダンチェンコとともにモスクワ芸術座を結成(1898)してチェーホフ,ゴーリキーらの新しい戯曲をとりあげ,リアリスティックな俳優術を探究したK.S.スタニスラフスキーなどすぐれた演出家が生まれてきた。イギリスのE.H.G.クレーグは演出の概念を徹底化し,理論的考察を与えた最初の人である。…
…当時の生活は小説《大川端》に書かれているが,青年の日の小山内の多感な姿が示されている。やがて狂歌仲間として親しかった2世市川左団次が外遊から帰国したのを迎えて,1909年〈自由劇場〉という会員制で新劇を見せる形の演劇運動をはじめ,イプセンの《ジョン・ガブリエル・ボルクマン》以降,ゴーリキーの《夜の宿(どん底)》,ハウプトマンの《寂しき人々》,森鷗外の《生田川》など9回の公演を行い,坪内逍遥の〈文芸協会〉とともに,わが新劇界の草創期を形成した。その間1913年には帝政ロシアに行き,モスクワ芸術座を見て,再演の《夜の宿》を大きく訂正している。…
…
[近代の小劇場運動]
既成劇場では十全な舞台表現を与えられない過激なリアリズム劇を,それに適した方法で上演しようとしたのが19世紀終りの若い演劇人による小劇場運動であった。近代的な演出家の最初の人ともいわれるマイニンゲン公ゲオルク2世が率いる劇団の写実的な舞台に感銘を受けていたA.アントアーヌは,1887年にパリで素人俳優の集りのような〈自由劇場Théâtre Libre〉を結成し,新しい作家を世に送り出すとともにイプセンの《幽霊》や《野鴨》をフランスで初演し,トルストイの《闇の力》を世界初演(1888)した。彼はみずからも舞台に立ったが,観客に背をむけてしゃべり,舞台上に本物の肉をぶらさげるといった徹底した自然主義をめざした。…
…まずドイツ,マイニンゲン市のゲオルク2世が1860年に組織した〈マイニンゲン一座〉は演技アンサンブルの重要性を強調し,写実的装置の確立をはかり,近代演劇の先駆となった。そして87年にパリでA.アントアーヌの〈自由劇場〉運動が展開され,その自然主義的演劇活動が大きな衝撃を劇界に与えた。同時に,劇作家の協力を得て,演出家を中核に,演技アンサンブルを尊重し,装置,照明に立体的造形をはかる上演集団のあり方が劇団制の問題として再検討・再認識された。…
…逍遥はシェークスピア劇の移植と歌舞伎の改革を目ざし,また西欧近代を呼吸して帰国した弟子の島村抱月は,イプセンの《人形の家》など,逍遥以上に西欧近代劇の移入に熱心であった。 一方,歌舞伎俳優として初の渡欧体験を持ち,しかし帰国後の革新興行には失敗した2代目市川左団次と,1906年に〈新派〉を失望裡に離れた小山内薫は,共同して09年に自由劇場を創設,試演活動を開始した。これは〈日本の劇壇に脚本・演技の両面で真の(西洋近代劇の)翻訳時代を興す〉意図で行われ,以後14年にかけて意欲的な活動を展開した。…
…彼はメロドラムの破壊的顕揚によって,メロドラムとロマン派演劇のヒーローとなり,舞台と実人生とを,生と自由性と演戯の限りない蕩尽の場としたからである。しかし,名優の芸術的独善が商業主義の君臨と表裏一体をなすと考えられるに至り,ゾラの自然主義演劇理論によるA.アントアーヌの自由劇場と,象徴派をよりどころとしたリュニェ・ポーの制作座という二つの〈小劇場運動〉が,初めて演劇の〈前衛〉として登場し,新しい文学戯曲の上演を使命とする〈演出家〉の市民権を主張する。これが19世紀の第3の転機であるが,一方この時期に,劇場から排除されていた詩人にほかならぬマラルメは,管弦楽演奏会やオルガン演奏会の流行とワーグナー楽劇に演劇が見失った〈祝祭性〉への〈群集〉の渇望を読み,カトリックの典礼に国家的祝祭の演出モデルを認め,また,バレエやパントマイム等の身体・空間芸術に演劇の基本的魅力を感じとり,しかも韻文劇に代表される〈言葉の演劇〉の限界的実験の必要をも説いていた。…
※「自由劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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