短歌,俳句は5音句と7音句を一定の規律のもとに配列することによって成りたっている詩である。5・7・5・7・7の5句31音の型が短歌,5・7・5の3句17音の型が俳句である。この形式を定型といい,ここから生まれる韻律を定型律という。自由律とはこの定型律に拘束されることなく,1句の音数も1編の句数も自由とし,したがって自由な音律によろうとするものをいい,非定型ともよばれる。
短歌の用語に口語を用いようとする口語歌運動は明治30年代(1897-1906)におこり,大正期には歌壇の一部にかなりの隆盛を示したが,本来文語によって成りたった5句31音の定型律を,言語組織の異なる口語によって踏むことには多くの困難があった。そのことから定型を破壊して自由律によろうとする動きが,大正末期からあらわれた。石原純,土田杏村らがその主導者で,口語定型を守持するものらとの論争がしばしばおこなわれた。しかし1932-33年(昭和7-8)ころに口語歌運動では定型派のすべてが敗退し,自由律派のみとなった。自由律派はやがて詩的内容の上から,近代主義的方向をとるものと社会主義的方向をとるものとに分かれ,そのおのおのの内部にもさまざまな主張があらわれた。後者はプロレタリア短歌として発展した。第2次世界大戦中は衰退し,戦後また主としてプロレタリア短歌系の歌人らによって自由律がおこなわれているが,その勢力は微弱である。
執筆者:木俣 修
新傾向俳句が俳句の旧習を脱しようとしてあたらしい試みをしながらも,なお定型と季題を捨てきれなかったのを不満として,季題の拘束から離れ,自由な表現を試みたのが中塚一碧楼らで,俳誌《第一作》(1912)によってはじめてこれを試みた。これが自由律俳句運動のおこりで,1914年(大正3)には荻原井泉水が俳誌《層雲》でいっそう大胆な自由表現と季題無用論を唱えて加わり,さらに17年には河東碧梧桐も口語表現のさけがたいことを論じて運動に投じた。これを俳誌の面からいえば,前記《第一作》の後身《海紅(かいこう)》と《層雲》を主流として,碧梧桐の《碧》《三昧》,栗林一石路らの《俳句生活》を加えたものが自由律俳句の流れであった。しかし碧梧桐,一碧楼の没後は《層雲》が主流となり,これに新俳句人連盟の機関誌《俳句人》の一部,吉岡禅寺洞の《天の川》などが加わり第2次世界大戦後の自由律俳句を推進した。自由表現であるから作品には長律・短律があって,前者の例に〈それから青年は最もわいせつなる話をして見たが,もの足らず,雀啼(な)ける〉(一碧楼),後者の例に〈水おと梅ひらく〉(井泉水)などがある。なお《層雲》では音数律を外在律というのに対し,作品内容からくるリズムを内在律と称し,また俳句的リズムは旋回するリズムにある,と説いて季題無視と自由表現を用いている。
執筆者:秋元 不死男
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短歌・俳句などで、五・七・五・七・七(短歌)、五・七・五(俳句)の定型律に対して、自由な音律によるもの。
[中野嘉一]
伝統的な形式に拘束されずに自由な音律で、現代の生活感情なり、詩的感動を表現しようとするところにこの名称がおこった。非定型短歌ともいわれる。字余りとか破調が近代の短歌のなかで行われるようになったのが自由律の先駆をなしている。1918年(大正7)京都で「定型からの解放」を叫び、『露台』を発行した高草木暮風(たかくさきぼふう)、谷川徹三らの集団に始まるが、昭和初期、定型歌人のなかから自由律へ転向する者が続出した。自由律短歌を唱導した2人の代表作家の例歌をあげると、「自然がずんずん体のなかを通過する―山、山、山 前田夕暮」は快適なテンポが自由律のリズムによってよく表現されており、また「憲法学者が巷(ちまた)にそしられる日であった。ファシズム風潮がこの狭い壁裏にも醸生する 石原純」は、自由律短歌のなかでも散文化の著しい例であり、二段構成をとった表現に短歌性を意識したところがあった。
[中野嘉一]
五・七・五定型律に対して、感情の律動を自由に表現する俳句をさす。明治末におこった新傾向俳句が急進して大正なかばごろ自由律として確立する。「日のましたはるかにはるかに浪(なみ)立てり 荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)」(1920)は、わずかに1音の字余りだが、感情のリズムが印象的。「病めば蒲団(ふとん)のそと冬海の青きを覚え 中塚一碧楼(いっぺきろう)」(1946)は、長いがイメージが鮮明。「雲の峰稲穂のはしり 河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)」(1916)は、12音で景が感覚的。「分け入つても分け入つても青い山 種田山頭火(さんとうか)」(1926)は、口語がよく生き、内容を生かすためには季題をも顧みない。
[伊澤元美]
『中野嘉一著『新短歌の歴史』(1967・昭森社)』▽『上田都史・永井龍太郎編『自由律俳句作品史』(1979・永田書房)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…いずれにせよ,自由詩といっても,詩の音韻的要素を否定しているのではない。だから,フリー・バースあるいはベール・リーブルを〈自由詩〉と訳すのは誤りというべきで,むしろ〈自由律〉と称すべきであろう。 日本の場合は,川路柳虹などの口語詩がいわゆる〈新体詩〉の定型から脱離したときから,自由詩の概念が始まった。…
※「自由律」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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