ヨーロッパの中世大学における科目群。英語ではリベラル・アーツliberal arts。自由学芸とも訳され,思想的源流としては,古代ギリシアの,肉体労働から解放された自由人にふさわしい教養という考え方にさかのぼり,実利性や職業性や専門性を志向する学問と対立する。ローマ末期の4~5世紀に七つの科目に限定され,言語に関する三科trivium,すなわち文法grammatica,修辞学rhetorica,論理学logica(弁証法dialecticaと呼ばれることもある)と数に関連した四科quadrivium,すなわち算術arithmetica,幾何geometrica,音楽musica(もしくはharmonia),天文学astronomiaに区分される。これらは本来異教徒の学問であるが,それがキリスト教世界の法学や医学のための基礎科目だけでなく神学の基礎科目となったことは,ヘレニズムとヘブライズムとの融合の具体的あらわれである。文法はラテン語を中心にした古典語の基礎から古典文学の理解まで,修辞学は古代とは異なり,話し言葉より書き言葉に重点を移し,公文書の作成法から歴史や法律の知識までを含み,論理学はアリストテレスが大成した形式論理学をおもな内容とした。算術は,はじめ教会暦の作成のための祝祭日の算定法が主であったがしだいに内容が広がり,幾何はユークリッド(エウクレイデス)の体系を学ぶことが中心であったが地理や博物の知識も含んでいた。音楽は最初聖歌の歌い方と作曲法に限られていたがのちには音楽の理論(たとえば弦の長さと音程の関係など)や音楽の歴史にまで広がり,天文学は,古代のそれのような天体の運行の数量的記録よりも占星術の性格が強かった。
このように科目の内容は多様性に富み,今日の用語で思いうかべるものより広い。このうち,たとえば修辞学のなかの法律の知識などはやがて法学に移される。13世紀にはこれらの科目は神学,法学,医学を修めるための予備的課程となり,教養科目というより基礎科目という性格を帯び,近代の中等教育の内容に近づく。中世では一般に四科より三科が重視され,三科のうちでもはじめは文法,のちには論理学が重視されるなど時代による変化はあったが,言語を中核に,抽象的記号への習熟と論理的推理力の訓練に重きを置くことでは一貫し,近代に至るまで西欧の知的エリートの教養のあり方を支配した。第1次大戦以後,学問の専門細分化と実利追従への批判としてあらわれた一般教育の理念は,この自由学芸の伝統を継承しつつ自然科学,社会科学をも新たな教養として積極的に位置づけようとしたものである。
→一般教育
執筆者:宮沢 康人
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…中世後期には,七徳目(信徳,愛徳,望徳の三神学徳と,賢明,正義,剛毅,節制の四枢要徳)と七罪源(傲慢,貪欲,邪淫,嫉妬,大食,激怒,怠惰)の対比の伝統が確立する。さらに聖書の正しい理解にとって不可欠な学芸としての自由七科も中世の主要アレゴリーのひとつとなった。各学芸の擬人像はそれぞれにふさわしい属性をもち,時にはその学芸を代表する学者や詩人を従えることもある。…
…ところで学問とはなんであったのか。ローマ時代には,それは自由七科とよばれた,文法,修辞,弁証法,幾何学,天文学,算術および音楽をいう。これは,大学の教科としても,基礎的なものであり,神学や法学を学ぶにしても,また医学を学ぶにしても,必修とされ,これらの科目の修了者に専門科目が教えられた。…
…英語のミュージックmusic,ドイツ語のムジークMusik,フランス語のミュジックmusique,イタリア語のムージカmusicaなどの語の共通の語源とされるのは,ギリシア語の〈ムシケmousikē〉であるが,それはそもそも〈ムーサMousa〉(英語でミューズMuse)として知られる女神たちのつかさどる技芸を意味し,その中には狭義の音芸術のほか,朗誦されるものとしての詩の芸術,舞踊など,リズムによって統合される各種の時間芸術が包含されていた。このように包括的な〈音楽〉の概念は,ヨーロッパ中世においては崩壊し,それに代わって思弁的な学として〈自由七科septem artes liberales〉の中に位置づけられる〈音楽〉と演奏行為を前提として実際に鳴り響く実践的な〈音楽〉の概念が生まれたが,後者は中世からルネサンスにかけてのポリフォニー音楽の発展につれて,しだいにリズム理論,音程理論などを内部に含む精緻な音の構築物へと進化した。これらの実践的な音楽とその理論がギリシア古代から一貫して受け継いだのは,音楽的な構築の基礎を合理的に整除できる関係(ラティオratio)と数的比例(プロポルティオproportio)に求める考え方である。…
…また教科の中で,さらに区分して系統立てられた領域を科目とよぶ。教科の起源は西洋古代以来の自由七科(リベラル・アーツ。文法・修辞学・論理学の三科と算術・音楽・幾何・天文学の四科による自由人の教養を示したもの)にあるといわれている。…
… ラテン語のarsはこの知としての性格を強め,しばしば〈学問〉と訳す方がよいほどである。7種の〈自由学科artes liberales〉(自由七科)が自由人の修めるべきこととされたが,その内容をみればarsの学的性格は明らかであろう(7種はのちに〈三学科=トリウィウムtrivium〉:文法・論理・修辞と〈四学科=クアドリウィウムquadrivium〉:算術・幾何・天文・音楽に区分される)。なおこの点では歴史的にさらに古く中国(周代)でも士以上の必修科目として六芸(りくげい)(礼・楽・射・御・書・数の技芸)の定められていたことは興味深い。…
…人間生活を形成し,豊かにし,称賛に値するものにするものならば,どのような知識でもおろそかにしてはなりません〉。 フマニタス研究の源をさらに遡及すれば,フマニタスという概念はキケロに見いだされるし,フマニタス研究そのものも元来はいわゆる自由七科,なかでも古典文学を教材とする修辞学と切り離せないものであったから,すでに中世の学問組織のなかにも存在して,中世を通して学ばれ続けてきたといわねばならない。したがって人文主義の起源としては,いわゆるカロリング・ルネサンスや12世紀ルネサンスにさかのぼらねばならないし,さらにはアベラールやソールズベリーのヨハネスやリールのアラヌスといった文人たちにも言及せねばなるまい。…
…中世初期のラテン世界でよく読まれた書物《フィロロギアとメルクリウスの結婚について》を著した。この寓話的な本の中で,花嫁の侍女たちが自由七科について解説する。これら自由七科が中世の学問の中核になるのは,上記の本の影響と,のちのカッシオドルスが七科を修道院教育の基礎にしたことによる。…
…その現実の成果は疑わしいものの,すでに日常的には死語となっていたラテン語は,意図的な教育・修得を必要とし,その対象となっていた。 このような一般社会における状況とは別に,知的営為のなかでのラテン語は,いわゆる〈自由七科(しちか)〉の基礎として受け入れられた。つまり,文法,修辞学,弁証法(論理学)という言語に関する基礎三科においてである。…
※「自由七科」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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