精選版 日本国語大辞典 「自画像」の意味・読み・例文・類語
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画家あるいは彫刻家が自分自身を表現した作品をいうが、彫刻の場合はとくに自刻像ともいう。すでにギリシアの画家たちが試みたことを文献は伝えている。中世にその例は少ないが、彫刻、ミニアチュールなどに若干の例がみられる。15世紀ころ、フランドル、イタリアにおいて祭壇画、壁画などの群像中に自画像を描くことが行われ始めるのは、芸術家における個我の意識の発達に即応するものと思われる。またベネチアでの板ガラスの製作が、鏡による自画像の制作を促したことも否めない。通常、自画像は、鏡によって制作されるため、制作中のポーズとなり、斜めの姿勢、当然、左右逆になる。この種の制作中の自画像は、17世紀には「高貴な」ポーズとさえ考えられ、職業的な誇りの自覚を示している。また、たとえば、レンブラントの数多くの例が示すような他のポーズでの自画像もある。現象的には自画像をこの二つのタイプに分類することが可能であるが、しかしいずれの場合も個の自覚と心理的な自己省察にかかわる。単にモデルが手近にいないためという理由ではなく、なんらかの自己省察が画家たちをして自己に対面せしめると考えてよい。まったく自画像を描かなかった芸術家の例も少なくない。しかし他方に、レンブラント、ゴッホのようにきわめて多く自画像を描いた芸術家もいる。またピカソは青年期を除いてほとんど自画像らしいものを描かなかったが、他のさまざまな対象に託して自己を語っている。たとえば版画連作の「彫刻家」や、晩年の「画家とモデル」のテーマなどである。一般に自画像は、注文あるいは売却の意図でなされるものではなく、芸術家の意識の高揚なり沈潜(たとえばゴッホの『ほうたいを巻いた自画像』など)の状況で描かれるだけに、かえって多くの優れた傑作を残している。
[中山公男]
もともと日本画には自画像の伝統はなく、幕末以後に西洋画の移入に伴って日本でも描かれ始めたものであるため、近代でも日本画には少なく、主として洋画家たちがこれに取り組んだ。最初の記念作は高橋由一(ゆいち)が明治直前に描いたとされる『丁髷(ちょんまげ)姿の自画像』であろう。また、東京美術学校西洋画科の最初の指導者となった黒田清輝(せいき)は、卒業制作に自画像を一課題としたが、その刺激のもとに青木繁(しげる)らの秀作が生まれた。明治末から大正にかけて自我と個性への意識が高まり、萬鉄五郎(よろずてつごろう)、岸田劉生(りゅうせい)は多くの自画像を描き、また関根正二、村山槐多(かいた)、中村彝(つね)、小出楢重(こいでならしげ)らが優れた自画像を残している。昭和期では、個性否定の戦時下において松本竣介(しゅんすけ)と靉光(あいみつ)の描いた毅然(きぜん)たる自画像が特筆に値するであろう。
[小倉忠夫]
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…後期にはホルバイン(父)らの画家たちと提携して,彼らの下絵を版画化し,版画出版を業として初めて成功させた。また,妻イダを伴った自画像(1490年代)は,版画による自画像の最初期の作例である。【八重樫 春樹】。…
※「自画像」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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