精選版 日本国語大辞典 「興亜奉公日」の意味・読み・例文・類語
こうあ‐ほうこうび【興亜奉公日】
- 〘 名詞 〙 国力増強・戦意高揚を意図して、昭和一四年(一九三九)八月一一日の内閣告諭により定められた毎月第一日の称。禁酒禁煙・一汁一菜・飲食店休業などが義務づけられた。
- [初出の実例]「初日、興亜奉公日の三時開き」(出典:古川ロッパ日記‐昭和一五年(1940)四月一日)
1939年(昭和14)8月8日,平沼内閣が国民精神総動員運動の一環として閣議決定した。国民が「戦場ノ労苦」をしのんで生活の簡素化を図るため毎月1日に設定された。42年毎月8日の大詔奉戴日に変更された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1938年後半には国民を主体的に結集しようとする国民再組織ないし新党運動がおこったが成功せず,近衛内閣に代わった平沼騏一郎内閣は39年2月に国民精神総動員運動を〈官民一体ノ挙国実践運動〉として強化する方針を打ち出した。精動委員長荒木貞夫文相のもとで9月から毎月1日を〈興亜奉公日〉とし,前線の労苦を想う耐乏生活をおしつけたが,翌年7・7奢侈品(しやしひん)製造販売禁止令が出ると,8月の興亜奉公日には〈ぜいたくは敵だ〉の立看板をかかげて街頭に進出した。おりから近衛をかついだ新体制運動が始まると,精動も大政翼賛運動の一翼に加わったが,国民再組織を主張する有馬頼寧らに対抗して,〈万民翼賛〉の名のもとに政治運動を排撃して官僚中心の体制を維持しようとする平沼騏一郎や内務官僚の動きとなった。…
※「興亜奉公日」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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