航空宇宙工業(読み)こうくううちゅうこうぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「航空宇宙工業」の意味・わかりやすい解説

航空宇宙工業
こうくううちゅうこうぎょう

航空機、宇宙機およびその関連器材等を生産する工業。本来航空機工業として発達してきたが、近年になって著しい発展をみせてきた宇宙工業をも含めて、航空宇宙工業と総称されるようになった。

 航空機工業は、1903年アメリカのライト兄弟が最初の飛行を行って以来、第一次、第二次世界大戦を経て軍用機を中心に飛躍的な発展を遂げた。第二次世界大戦末期の各国の従業員数は、アメリカ、イギリスソ連が各約200万人、ドイツ日本が約100万人、また大戦中の製造機総数は、アメリカ約30万機、イギリス約12万機、ソ連、ドイツ、日本はそれぞれ約10万機に上った。各国に比べ遅れて出発した日本も、第二次世界大戦中は、質・量ともに世界的水準にほぼ近づいていた。しかし、第二次世界大戦後「平和憲法」で「軍備を放棄」した「たてまえ」の日本の航空機工業の復興は遅れた。

 第二次世界大戦後の世界の航空機工業は、ジェットエンジンによる大型化、高速化が目覚ましく、また宇宙開発も、1942年のドイツのV2号ロケットの完成を基礎とし、戦後は米ソのミサイル開発に引き継がれ、1957年10月、ソ連が世界最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げて画期をなした。その後アメリカがアポロ計画に取り組み、1969年7月にはアポロ11号により人類史上初めて人間を月面に降り立たせるなど、世界の航空宇宙開発は目覚ましく、日本はふたたび、技術的、産業的に大きく遅れをとるに至ったのである。

[三輪芳郎]

世界の現状

世界の航空宇宙工業の売上高うちで、アメリカは約75%を占め(不明の共産圏諸国を除く)、圧倒的規模である。ヨーロッパ4か国(イギリス、フランス、旧西ドイツ、イタリア)の合計売上高、従業員数はアメリカの30~35%程度であり、日本の規模は1982年(昭和57)で、アメリカの約4%、26.3億ドル(約6200億円)となっている。

 アメリカの航空宇宙工業は1960年代に入り、アポロ計画とベトナム特需で1968年に260億ドルのピークに達したが、その後アポロ計画の縮小(1972年終了)、ベトナム和平で減少に転じた。その後、石油危機に伴うインフレで名目規模は上昇したが、実質では増大しなかった。1978年以後は民間輸送機の好況で持ち直し、1982年以降はレーガン政権の軍備増強計画により、軍用機の売上げが急増し、さらに宇宙関係国防費の急増で、1983年には757.6億ドル(約17.6兆円)の巨額に達している。この規模の巨大さは、たとえば、日本の同年の電気機械工業合計(重電、軽電、電子の総合計)の工場生産金額が16.8兆円、輸送機械合計(自動車、オートバイ、自転車、産業車両、航空機の合計で、船舶を除く)が16.7兆円、自動車のみで12.2兆円(通産省「生産動態統計」による)であることをみてもわかろう。

 アメリカ航空機生産における軍需比率の推移をみると、生産機数では2割ないし数%にすぎない軍用機が、金額では8割ないし5割を占め、当然のことながら軍需依存体質を明らかにしている。輸出入をみると1983年のアメリカは、輸出が161億ドル(約3.7兆円)で、生産額に対する輸出比率は21%を占め、輸出入差は126億ドルの出超。フランス、イギリス、カナダは、それぞれ34億ドル、17億ドル、4億ドルの出超に対し、旧西ドイツは9億ドル、日本も18億ドルの入超であった。ここでもアメリカの出超は抜群である。

 アメリカの航空宇宙工業関係の輸出額が全アメリカ輸出額に占める地位をみると、1983年で8.2%を占める。1983年の日本の鉄鋼輸出は128億ドルで日本の全輸出に占める比率は8.7%、自動車は261億ドルで17.8%であるから、いかにアメリカ航空宇宙工業の輸出の比重が高いかが知れよう。とくに貿易収支でみれば、アメリカの全貿易収支が、1983年に607億ドルの大幅赤字のなかで、航空宇宙工業の貿易収支は126億ドルの大幅黒字であり、農産物と軍事産業のみが黒字という、アメリカ貿易収支の体質を如実に示している。

[三輪芳郎]

日本の現状

第二次世界大戦後の日本の航空機工業は、1952年(昭和27)在日米軍機のオーバーホールから出発した。1954年に防衛庁(現防衛省)が設置されてからは、防衛庁機のライセンス生産へと移行した。ついでしだいに国産の防衛庁機や民間機の生産に進んだ。国産最初の量産機は1960年の自衛隊の中間ジェット練習機T-1であり、民間機ではYS-11で、後者は当時としては世界水準の輸送機として、1973年に生産が打ち切られるまで延べ182機の量産を行い、注目された。

 日本の宇宙工業の売上げ規模は、1979年の1032億円から1982年には1686億円へと着実に伸びている。そのうち、ロケットおよび人工衛星を主とする飛翔(ひしょう)体が過半を占め、ついで地上設備が約4割、ソフトウェアが約1割となっている。約1700億円という規模は大きくはないが、衛星通信に欠かせない地上局の設備を日本は世界各地に輸出し、大きなシェアを占めている。これは、民需用のラジオ、テレビ、電話などのマイクロ波中継技術での日本電気(NEC)などの技術の蓄積のうえに開花したものである。つまり、飛翔体は軍事費の制約で遅れ、その多くは輸入に依存しているが、地上局設備(超遠距離の送受信技術を主とする)は、日本の民生用エレクトロニクス技術の蓄積の結果である。

[三輪芳郎]

航空宇宙工業の問題点

航空宇宙工業は極限状態の高度の総合技術を要する産業であり、しかも戦争がない限り、きわめて少量生産の、そしてきわめて高価な商品である。したがって、開発資金は膨大で、そのほとんどは軍事費に依存している。たとえば、アメリカの1971年の開発費は43.7億ドル(1.5兆円)で、全製造業の研究開発費の27%をも占め、その80%は政府資金である。また1969年のアメリカ航空宇宙工業の科学者・技術者は約10万1000人で、全製造業の科学者・技術者の26.2%を占めるほどである。アメリカ航空宇宙工業主要メーカーの現況は、軍需依存のため、民需主体のメーカーは、私企業としてはほとんどボーイング社1社である。ヨーロッパ各国はほとんど国営1社に統合され、また最近ではリスク分散と市場確保のため、国際協同開発が一般化している。

 いずれにしても、1985年のアメリカ下院で、軍用機の便器のプラスチック製の蓋(ふた)が1個600ドルというずさんな原価計算が暴露されたように、軍需依存体質の弊害も大きい。アメリカは、航空宇宙工業の発達の代償として、ラジオ、TV、VTR、乗用車等々の民需用産業の国際競争力を日本に奪われ、工業製品の貿易収支の大幅赤字を招いている。軍需にスポイルされた開発一辺倒の体質が、コストを引き下げるための「生産技術」の意識を希薄にした結果ともいえよう。

[三輪芳郎]

『社団法人日本航空宇宙工業会編・刊『世界の航空宇宙工業』各年度版』『社団法人日本航空宇宙工業会編・刊『日本の航空宇宙工業』各年度版』

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百科事典マイペディア 「航空宇宙工業」の意味・わかりやすい解説

航空宇宙工業【こうくううちゅうこうぎょう】

20世紀初頭から第1次大戦期に成立した航空機工業と,それを基礎に1950年代から始まったミサイル人工衛星などの研究,開発,生産を含めた産業分野。ハイ・テク産業の中でもとくに最先端の技術を総合したものである。関連産業のすそ野が広いのが特徴で,技術波及効果が高い。米・英・ロシア,仏・ドイツなど工業先進国で展開される。日本では,第2次大戦後禁止されていた航空機生産が1952年再開され,特需と防衛庁需要に依存して復興,YS11などの生産に成功し,その後の航空機技術の発展に貢献した。ロケット関係では,本体を重機械・自動車メーカー,誘導装置などを電機メーカー,推進剤を化学メーカーが分担生産しているが,防衛用ミサイルの発注増加とともに,これら諸企業が結んで幾つかのグループ形成に向かっている。→兵器工業
→関連項目軍産複合体航空戦略産業

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世界大百科事典 第2版 「航空宇宙工業」の意味・わかりやすい解説

こうくううちゅうこうぎょう【航空宇宙工業】

航空宇宙工業は本来航空機工業として発達してきたが,航空機技術の進歩によりミサイルロケット,宇宙機器が登場するに及び,それらを含めて航空宇宙工業と称されるようになった(ただし,日本では通常ミサイルなどは含めない)。航空機工業は,おもに航空機体,エンジン,部品,装備品,関連器材,原材料等を製造する産業のことをいい,宇宙工業(宇宙産業)はロケットや人工衛星など宇宙空間の特性を利用する機器を生産する工業を指す。

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世界大百科事典内の航空宇宙工業の言及

【飛行機】より

…そのほか最近の電子技術の目覚ましい発達で新しい装置,システムが次々に実用化され,操縦室周辺に革命を起こしている。航空計器【木村 秀政】
【世界の航空宇宙工業】
 飛行機産業,航空機工業はミサイル,宇宙開発等の進展により,今日では広く航空宇宙工業として包括的にとらえられている。ここではこうした観点から世界の航空宇宙工業について記す。…

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