芥川 比呂志(読み)アクタガワ ヒロシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「芥川 比呂志」の解説

芥川 比呂志
アクタガワ ヒロシ


職業
俳優 演出

肩書
演劇集団円主宰

生年月日
大正9年 3月30日

出生地
東京府 田端(東京都 北区)

学歴
慶応義塾大学文学部仏文科〔昭和17年〕卒

経歴
小説家・芥川龍之介長男に生まれる。慶大仏文科在学中から加藤道夫らと演劇活動を始める。昭和24年文学座に入り、中心的俳優として「ワーニャ伯父さん」「竜を撫でた男」「ハムレット」「マクベス」「守銭奴」などに出演。演出家としてもアヌイ、サルトルらの現代劇の演出で注目される。また、映画やテレビでも活躍、“貴公子ハムレット”とも呼ばれた。38年には福田恒存らと共に文学座を脱退し、現代演劇協会を創設。同協会の劇団雲の中心的演出家、俳優となり、「黄金の国」「榎本武揚」「スカパンの悪だくみ」「海神別荘」などを演出。50年に同協会を脱退、演劇集団円を結成するが、結核が悪化して入退院をくり返し、“円”で演出したのは「夜叉ケ池」一本だけ。最後の仕事は54年の国立劇場での「道成寺」の演出だった。映画の代表出演作に「また逢う日まで」「雁」「煙突の見える場所」「にごりえ」「或る女」「東北の神武たち」「無法松の一生」「日本の夜と霧」「どですかでん」などがある。一方、文才にも長け著書に「決められた以外のせりふ」「肩の凝らないせりふ」、訳書に「恭々しき娼婦」「トロイアの女たち」「アンチゴーヌ」などがある。

受賞
芸術選奨文部大臣賞〔昭和49年〕「『スカパンの悪だくみ』『海神別荘』等の演出」 名古屋演劇ペンクラブ賞〔昭和30年〕「ハムレット」,紀伊国屋演劇賞(個人賞)〔昭和44年〕「『ブリストヴィルの午後』『薔薇の館』の演出」,日本エッセイスト・クラブ賞〔昭和45年〕「決められた以外のせりふ」,芸術祭賞優秀賞〔昭和49年〕「『海神別荘』の演出」 毎日映画コンクール男優助演賞(昭28年度)「煙突の見える場所」

没年月日
昭和56年 10月28日 (1981年)

家族
父=芥川 竜之介,弟=芥川 也寸志(作曲家)

伝記
対談集 源泉の感情あの人この人―昭和人物誌青春のかたみ―芥川三兄弟友を偲ぶ煉獄のハムレット―芥川比呂志と私影灯籠―芥川家の人々ぷれりゅうどおもちゃの三味線―白鸚・勘三郎・芥川比呂志気むずかしやのハムレット―素顔の父芥川比呂志 三島 由紀夫 著戸板 康二 著芥川 瑠璃子 著遠藤 周作 編大倉 雄二 著芥川 瑠璃子 著芥川 也寸志 著関 容子 著芥川 耿子 著(発行元 河出書房新社文芸春秋文芸春秋光文社文芸春秋人文書院筑摩書房文芸春秋主婦と生活社 ’06’96’93’91’91’91’90’89’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「芥川 比呂志」の解説

芥川 比呂志
アクタガワ ヒロシ

昭和期の俳優,演出家 演劇集団円主宰。



生年
大正9(1920)年3月30日

没年
昭和56(1981)年10月28日

出生地
東京・田端

学歴〔年〕
慶応義塾大学文学部仏文科〔昭和17年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール助演男優賞(昭28年度)「煙突の見える場所」,紀伊国屋演劇賞(個人賞)〔昭和44年〕「『ブリストヴィルの午後』『薔薇の館』の演出」,日本エッセイスト・クラブ賞〔昭和45年〕「決められた以外のせりふ」,芸術祭賞(優秀賞)〔昭和49年〕「『海神別荘』の演出」,芸術選奨文部大臣賞〔昭和49年〕「『スカバンの悪だくみ』『海神別荘』等の演出」

経歴
小説家・芥川龍之介の長男に生まれる。慶大仏文科在学中から演劇活動を始める。昭和25年文学座に入り、中心的俳優として「ハムレット」「マクベス」「守銭奴」「龍を撫でた男」などに出演。また、映画やテレビでも活躍、“貴公子ハムレット”とも呼ばれた。38年には福田恆存らと共に文学座を脱退し、現代演劇協会を創設。同協会の劇団雲の中心的演出家、俳優となり、「黄金の国」「榎本武揚」「海神別荘」などを演出。50年に同協会を脱退、演劇集団円を結成するが、結核が悪化して入退院をくり返し、“円”で演出したのは「夜叉ケ池」一本だけ。最後の仕事は54年の国立劇場での「道成寺」の演出だった。映画の代表出演作に「雁」「煙突の見える場所」「東北の神武たち」「どですかでん」などがある。一方、文才にも長け著書に「決められた以外のせりふ」「肩の凝らないせりふ」、訳書に「恭々しき娼婦」「トロイアの女たち」「アンチゴーヌ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「芥川 比呂志」の意味・わかりやすい解説

芥川比呂志
あくたがわひろし
(1920―1981)

俳優、演出家。作家芥川龍之介(りゅうのすけ)の長男として東京に生まれる。慶応義塾大学仏文科卒業。1947年(昭和22)劇作家加藤道夫らと「麦の会」を結成、1949年文学座に入る。知的な風姿と指導力により同座の中心俳優、演出家として活躍し、映画にも出演した。とくに『ハムレット』の主演や、アヌイ、ジロドゥーなどフランス戯曲の演出が有名。1963年福田恆存(つねあり)らと文学座を脱退して劇団雲を設立。さらに1975年には演劇集団「円(えん)」を設立、リーダーとなった。知性派新劇人として著作も多い。

[水落 潔]

『芥川比呂志著『決められた以外のせりふ』(1970・新潮社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「芥川 比呂志」の意味・わかりやすい解説

芥川比呂志
あくたがわひろし

[生]1920.3.30. 東京
[没]1981.10.28. 東京
俳優,演出家。芥川龍之介の長男で,作曲家也寸志は弟。慶應義塾大学仏文科卒業。加藤道夫とつくっていた「麦の会」から 1948年文学座に参加,恵まれた容姿と知性で『ハムレット』の主演 (1956) で成功。 63年,岸田今日子らと文学座を脱退,福田恆存の指導のもとに劇団雲を結成。演出にも意欲をもち,『なよたけ』 (55) ,『榎本武揚』 (68) などを演出。 75年に再び岸田らと「雲」を脱退して演劇集団円を創立するが,79年の泉鏡花作『夜叉ヶ池』の再演出が最後となった。ほかに,随筆『決められた以外のせりふ』 (70) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芥川 比呂志」の解説

芥川比呂志 あくたがわ-ひろし

1920-1981 昭和時代の俳優,演出家。
大正9年3月30日生まれ。芥川竜之介の長男。芥川也寸志(やすし)の兄。慶大在学中から演劇をはじめ,加藤道夫らと劇団麦の会を結成。昭和24年文学座にはいり,中心的俳優,演出家となる。38年福田恒存(つねあり)らと劇団雲を,50年円を結成した。同年「スカパンの悪だくみ」などの演出で芸術選奨。昭和56年10月28日死去。61歳。東京出身。著作に「決められた以外のせりふ」など。

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367日誕生日大事典 「芥川 比呂志」の解説

芥川 比呂志 (あくたがわ ひろし)

生年月日:1920年3月30日
昭和時代の俳優;演出家
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の芥川 比呂志の言及

【劇団】より

…そして54年に戦後最初の劇団拠点劇場として東京六本木に俳優座劇場を建設した。杉村春子らの〈文学座〉は1949年に芥川比呂志(1920‐81)らが加入し,フランス演劇研究会をつくって劇界に新風を送り,劇団けいこ場を試演会場とするアトリエの会活動を展開した。拠点劇場を持たない劇団がけいこ場を小劇場活動の拠点とした最初である。…

【新劇】より

… 弾圧は免れたものの,45年春以降は疎開を余儀なくされていた文学座は,森本薫作・杉村春子主演《女の一生》で戦後をスタートし,47年には戦前の伝統を継承しつつ〈フランス演劇研究会〉を発足させる。49年には,長岡輝子,芥川比呂志(1920‐81),加藤道夫らもこれに加入して,文学座のみならず新劇界に新風を吹き込むこととなった。フランス演劇研究会ではサルトル,アヌイなど戦後フランスの実存主義的演劇を初演するとともに,東京信濃町の同座稽古場を利用して〈新しき演劇の実験室〉としての〈アトリエ公演〉活動を展開した。…

【文学座】より

…政治性を排した〈娯楽としての演劇〉を目ざし,戦中も弾圧を免れた唯一の新劇団として活動を続けた。戦後は49年に芥川比呂志(1920‐81)らも加わり,〈フランス演劇研究会〉〈アトリエ公演〉で内外の新しい演劇を紹介・上演する一方,森本薫《女の一生》,T.ウィリアムズ《欲望という名の電車》,シェークスピア《ハムレット》などの上演で地歩を固め,昭和20年代,30年代を通じ,新劇界の中枢的劇団として多くの人々に親しまれた。なかでも劇団の中心的存在である杉村春子(1909‐97)主演の《女の一生》は,700回以上も上演を重ねている。…

※「芥川 比呂志」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」