芥川龍之介(りゅうのすけ)の名を記念した純文学の新人賞。正式名は芥川龍之介賞。芥川の友人であった菊池寛の発案で1935年(昭和10)直木賞とともに始まり、今日に至る。選考委員の選考により、年2回授賞。記念品および副賞100万円(当初は500円)が授与される。運営には当初は文芸春秋社、1938年以降は日本文学振興会があたる。受賞作または該当作がない場合の候補作は『文芸春秋』に発表される。石川達三『蒼氓(そうぼう)』受賞の第1回の候補には、太宰治(だざいおさむ)、高見順らの作品もあげられた。ついで石川淳、尾崎一雄、火野葦平(あしへい)、中山義秀(ぎしゅう)ら、昭和10年代に活動した作家の受賞もあって、漸次、文学賞としての権威をもったが、第二次世界大戦中の授賞には戦時色が表れた。戦中末期から戦後にかけて一時中絶。戦後では井上靖(やすし)、安部公房(あべこうぼう)、松本清張(せいちょう)ら、独自の分野を開いた作家の受賞があり、その後「第三の新人」とよばれた安岡章太郎、吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)、遠藤周作ら、さらに開高健(かいこうたけし)、大江健三郎ら、力量を示した新進がこの賞を通って文壇に登場した。石原慎太郎『太陽の季節』、中上健次『岬』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』などの話題作も少なくない。1960年代以降は女性作家の受賞も目だつようになった。芥川賞の歴史は純文学の新動向の軌跡でもあって、その意味から毎回の選考委員による選評も興味深い。
[保昌正夫 2018年7月20日]
『『芥川賞の研究』(1979・日本ジャーナリスト専門学院出版部)』▽『『芥川賞全集』19巻・別巻1(1982~2002・文芸春秋)』
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文芸春秋社を主宰していた菊池寛が旧友芥川竜之介を記念する意味と雑誌の発展,純文学の新人の発掘をめざして設定した文学賞。年2回。1935年(昭和10)以来続いている。第1回は石川達三の《蒼氓(そうぼう)》。その際候補になった高見順,太宰治も受賞は逸したが文壇に出る機会をつかんだ。小説家に与えられる新人賞としては最も権威がある。大衆文学に与えられる直木賞とは性格上区別されていたが,戦後に中間小説が流行するようになると純文学の芥川賞の性格がやや直木賞と区別がつきにくい現象も生じた。芥川賞受賞者の松本清張,五味康祐,宇能鴻一郎らのその後の活動をみてもそのことが言える。社会的に大きな影響力を持ったのは石原慎太郎の《太陽の季節》の受賞(1955年下期)で,賛否両論の対立が激しかったが,太陽族と称される世相・風俗を流行させる一因ともなった。総じて多くの新人賞を輩出させる刺激となっている。
執筆者:長谷川 泉
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1935年(昭和10)に文芸春秋社(現,文芸春秋)の菊池寛が芥川竜之介を記念して創設した文学賞。年2回。優れた純文学の作品を発表した新人作家に贈られ,文壇の登竜門となっている。第1回受賞は石川達三「蒼氓(そうぼう)」。38年財団法人日本文学振興会の設立とともにその所管となった。受賞作は「文芸春秋」誌上に発表される。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…その後,映画・演劇・婦人雑誌などを刊行したが,現在《オール読物》《文学界》が残っている。35年に芥川賞,直木賞,39年に菊池寛賞が設けられ,38年に設立された財団法人〈日本文学振興会〉が授賞事務を行っている。1937年日中戦争が勃発すると,《文芸春秋・事変増刊》を《現地報告》と改題,月刊化し(1938),《大洋》を創刊(1939),43年には満州文芸春秋社を設立するなど戦争協力の姿勢を強めた。…
※「芥川賞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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