花柳流(読み)ハナヤギリュウ

デジタル大辞泉 「花柳流」の意味・読み・例文・類語

はなやぎ‐りゅう〔‐リウ〕【花柳流】

日本舞踊流派の一。嘉永2年(1849)4世西川扇蔵門下西川芳次郎が花柳芳次郎(のちに寿輔じゅすけ)を名のって創始

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精選版 日本国語大辞典 「花柳流」の意味・読み・例文・類語

はなやぎ‐りゅう‥リウ【花柳流】

  1. 〘 名詞 〙 日本舞踊の流派の一つ。江戸末期、嘉永二年(一八四九)四世西川扇蔵の高弟、初世花柳寿輔が西川流から独立してはじめたもの。花柳派。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「花柳流」の意味・わかりやすい解説

花柳流
はなやぎりゅう

日本舞踊の流派。花柳寿輔(じゅすけ)を家元名とし、現家元は5世。初世は西川流4世扇蔵(せんぞう)門下の西川芳次郎(よしじろう)で、師没後内紛のため独立し、花柳芳次郎として1849年(嘉永2)に創流した。花柳寿助を経て、花柳寿輔と名を定める。幕末から明治前半期にかけて劇場振付けの第一人者として活躍したが、9世市川団十郎と不和となり、劇界から遠ざかって1903年(明治36)に没した。初世の実子花柳芳三郎(よしさぶろう)が年少のため、養子の初世花柳徳太郎が家元を預かり流儀を支えた。芳三郎は1918年(大正7)2世家元花柳寿輔を襲名。新時代の日本舞踊を目ざして「花柳舞踊研究会」を組織する一方、古典舞踊研究の「二十四日会」を発足させるなど、充実した歩みを進めた。歌舞伎(かぶき)座の振付師に起用され、しばらくこの面の活動も続いた。徳太郎と4世花柳芳次郎(後の芳瞠(ほうどう))は分家として寿輔を助け、芳次郎は関西を固めた。多彩な人材が輩出し、全国に門弟が広がり、斯界(しかい)最大の流派に発展した。1963年(昭和38)に2世は寿応を名のり、娘わかばが3世家元を継ぎ、2世の義弟寿楽(じゅらく)と5世芳次郎(2007年に4世家元寿輔、2016年に2世寿応を名のる)が後見人として補佐した。2007年(平成19)3世死去後、5世芳次郎が4世家元を継ぐ。花柳流から分かれた流派に、若柳(わかやぎ)流、五條(ごじょう)流、猿若流泉流などがある。

[如月青子]

『邦楽と舞踊社編・刊『日本舞踊大系 花柳流』(1965)』

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改訂新版 世界大百科事典 「花柳流」の意味・わかりやすい解説

花柳流 (はなやぎりゅう)

日本舞踊の流派。流祖は初世花柳寿輔(じゆすけ)。寿輔は4世西川扇蔵の門弟として西川芳次郎を名のったが,4世扇蔵の没後,西川流から独立して,1849年(嘉永2)花柳芳次郎と改名,花柳流を創立した。初世は振付の才能に恵まれ,幕末から明治の劇壇で名振付師として活躍したが,9世市川団十郎と不和が生じ,劇壇から遠ざかり,1903年没した。実子の花柳芳三郎は6世尾上菊五郎の門弟として俳優修業を志したが,18年門弟たちに望まれ,2世寿輔を襲名した。2世は義兄花柳徳太郎とともに時流にのり,全国各地に流勢を拡張したが,古典の伝承だけにとらわれず,新舞踊運動の先達としても活躍,名実ともに一大流派としての基盤を固めた。63年2世は寿応を名のり,実子の花柳わかばが3世寿輔を襲名したが,流派に理事制をしき,その運営の近代化をめざしている。なお,花柳流から分かれた流派に若柳流,五条流,猿若流,泉流がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「花柳流」の意味・わかりやすい解説

花柳流
はなやぎりゅう

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デジタル大辞泉プラス 「花柳流」の解説

花柳流

日本舞踊の流派のひとつ。1849年、花柳芳次郎(後の初代花柳壽輔(じゅすけ))が西川流から独立して創流。日舞五大流派のひとつとされる。

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