はな‐みち【花道】
〘名〙
①
歌舞伎劇場の
舞台設備の一つ。
観客席を縦に貫いて
左側(
下手)にある、
俳優の出入する道。
揚幕から舞台に向かう歩板
(あゆみいた)。能の
橋懸りや白州梯子の影響から
寛文(
一六六一‐七三)頃に架設されるようになり、元文(
一七三六‐四一)頃に完成した。初めは観客が贔屓
(ひいき)の俳優に花(
祝儀)を贈るために設けられたものであったところからの
呼称。
本花道。
※俳諧・宗因七百韵(1677)「能芝居萩の花道をし分て〈
以仙〉 つく竹杖やさをしかの声〈素玄〉」
※相撲講話(1919)〈日本青年教育会〉相撲の
沿革と故実「花道 力士の土俵に通ふ場内の道である」
③ はなばなしく歩く道。また、人に惜しまれて
引退すること。「花道を飾る」
※
故旧忘れ得べき(1935‐36)〈
高見順〉一〇「あの時代の我々は余りにも気楽に華やかに、〈略〉『
戦闘的…』の花道を歩んで行きはしなかったであらうか」
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デジタル大辞泉
「花道」の意味・読み・例文・類語
はな‐みち【花道】
1 歌舞伎劇場の舞台設備の一。観客席を縦に貫いて舞台に至る、俳優の出入りする道。寛文(1661~1673)ごろ発生し、元文(1736~1741)ごろ完成した。下手にある常設のものを本花道、上手に仮設されるものを仮花道とよぶ。もとは役者に花(祝儀)を贈るための通路であったという。
2 《平安時代、相撲の節で力士が花をつけて入場したところから》相撲場で、力士が支度部屋から土俵に出入りする通路。「東西の花道」
3 世の注目や称賛が一身に集まる華やかな場面。特に、人に惜しまれて引退する時。「引退の花道を飾る」
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花道
はなみち
歌舞伎舞台の特殊な機構の一つ。舞台に向って左のほう (下手) に客席を貫いて舞台と直交して設けられている,俳優が出入りする通路。長さは劇場によって違いがあるが,幅は約 1.5m。花道の効用は,舞台上とは別の場面を花道上に設定できることで,演出上重要である。贔屓 (ひいき) から俳優への贈り物 (はな) をするための道というところから名づけられたといわれ,それが発達して能舞台の橋懸りと同じような役目をもつにいたった。現在のような形となったのは,おおむね元文5 (1740) 年頃以降といわれる。現在は下手に常設 (本花道) されるほか,上手寄りに仮設されることもあり,これを仮花道または東の歩みという。江戸時代中期から末期にかけてはこの両花道は常備されていたが,近代以後仮花道は必要な場合にだけ設けられるようになった。花道の全体のうち揚幕から七分,舞台から三分ぐらいの位置を七三 (しちさん) という。この七三で主たる役は登場,退場にあたって必ずなんらかの演技を示す。これを七三の演技という。この位置には床を四角に切抜いて,奈落から上下できるような機構がある。これを「切り穴」または「すっぽん」という。また相撲場で,力士が土俵に出入りする通路も花道という。
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花道【はなみち】
歌舞伎の舞台設備。舞台と同じ高さで,向かって左側寄りの観客席を縦断する道。俳優がここから出入りするほか,しばしば重要な演技を行う。名称の起りについては諸説があるが,いずれも根拠に乏しい。なお,演目によっては,反対の右側寄りにも設けることがあり,これを仮花道という。
→関連項目切穴|劇場|つらね|六方
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かどう【花道】
江戸時代から使われていたいけばなの総称で,様式語としての立花(りつか),抛入(なげいれ)花などのすべてを含む。華道とも書く。芸道における〈道〉の意識の成立は中世以来のものであるが,秘伝奥儀などを習得するための修練を強調する求道的精神から歌道,茶道,香道などと等しく造語されたもの。その初見は1688年(元禄1)刊行の桑原冨春軒の《立華時勢粧(りつかいまようすがた)》に,〈花道を鍛練して〉とか〈花道の奥儀〉〈花道第一の秘儀〉などとして使われ,また編者不明だが,1717年(享保2)刊の立華と生花(いけはな)の書は《華道全書》という題名がつけられている。
はなみち【花道】
歌舞伎の舞台機構の一。舞台に向かって左手の位置に,舞台と同じ高さで,客席の後方にまっすぐ貫いてのびている通路。原則として,舞台で起こる事件に重要なかかわりをもつ人物の登・退場に用いる。花道の名称の由来については定説がないが,ただ,花の役者の通り道とか,役者が花を飾って(美しく装って)出てくる道からといった説が妥当かと思われる。歌舞伎の舞台は17世紀後半,舞台面積の拡大に伴って橋掛りも拡幅された。その結果,歌舞伎は出端(では)(登場)の芸を生かすための新しい空間を客席に求め,付け橋掛り(舞台から客席の奥へと仮設された橋掛り)や付け舞台(舞台前面に,舞台から隔てて仮設された横長の台)を設けた経験をもとに花道を設置した。
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花道
かどう
華道とも。いけばなのこと。花道の言葉は「立華時勢粧(りっかいまようすがた)」(1688刊)にはじめてみられるが,道の意識は立花(たてはな)成立期の南北朝期からあり,立花の修行が仏道の悟りを開く契機とされたことに端緒がある。それが師弟関係と正統性の重視にもつながり,流派と家元制度を成立させることになる。寛政の改革を機にいけばなに儒教思想が導入されると,師弟関係も義理の論理で理解されるようになり,儒教の徳目を修するための道とされた。明治20年代には,いけばなが女性教育の目標を達成するものとして「婦道」と密接にかかわりながら展開することにより,いけばなを花道(華道)と称することが一般化した。
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花道
下手から客席を縦断して後方に通ずる通路。“出”や“引っ込み”の演技が行われるほか、川や空中、遠方などを表現する場にもなる。花道の突き当たり、役者が出入りする枠の幕が揚幕(あげまく)。舞台寄り三分(揚幕から七分)の位置を七三、七三にある妖怪、幽霊、忍術使いなどが出入りするセリをすっぽんという。
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世界大百科事典内の花道の言及
【いけばな】より
…自然の植物を対象素材として,〈挿す〉〈立てる〉〈生ける〉などの作業によって器とともに組みたてられ,日本人の生活空間に自然と人間とをつなぐきずなとして成立し,発展をつづけてきた伝統芸術。花道と総称されたこともあったが,現在では〈いけばな〉の呼称が一般化され,国際的にもイケバナで通用している。
[いけばな成立以前]
植物としての花の生命力に神の存在を見ようとする素朴なアニミズムを基盤として,民俗学の資料などに見る依代(よりしろ)としての花が,まず日本人と植物とのあいだに成立する。…
【歌舞伎】より
…見物席と舞台との全体を覆う,いわゆる全蓋式(ぜんがいしき)の劇場が許可されたのは1718年(享保3)からのことである。 舞台機構で注目すべき特色は,花道と回り舞台を備えていることである。花道は,初期歌舞伎が襲用した能舞台における橋掛りの〈道としての機能〉が,舞台全体の拡張の中で失われていったのに代わり,見物席を貫通する形で出現したものであり,はじめは仮設のものだったらしいが,享保期には常設の機構として確立している。…
【舞台】より
…また,すでに早く1761年には能舞台の遺存であった本舞台の屋根をはずし,明和・安永・天明期(1764‐89)になると目付柱の処理にも改革が試みられた。客席を通って揚幕へ通じる花道の発生は,寛文(1661‐73)ごろといわれるが,これが常設の設備となったのは元禄(1688‐1704)以降のことである。中村・市村・森田(守田)の江戸三座は,しばしば焼失して改・新築をくりかえしているが,天明・寛政(1781‐1801)のころの舞台の大きさは,6~7間の間口が普通で,いわゆる〈本舞台三間〉といわれたころに比べてかなり拡張している。…
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