精選版 日本国語大辞典 「芳沢あやめ」の意味・読み・例文・類語
よしざわ‐あやめ【芳沢あやめ】
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歌舞伎(かぶき)俳優。初世。代々若女方(わかおんながた)で文化(ぶんか)年間(1804~18)の5世まであるが、初世がとくに有名。初世坂田藤十郎と並び称される、元禄(げんろく)年間(1688~1704)の上方(かみがた)歌舞伎の代表的名優で、女方芸の確立者として演劇史に名を残した。1698年(元禄11)初世中村七三郎の巴之丞(ともえのじょう)役で初演した『傾城浅間嶽(けいせいあさまがだけ)』の三浦の役は一代の当り役だった。彼の芸談を集めた『あやめ草』(『役者論語(やくしゃばなし)』収載)は、単に芸談というだけでなく、若女方の修業や日常生活における心得などを説いているのが興味深く、かつ貴重である。冒頭の「女形は傾城さへよくすれば、外(ほか)の事は皆いたしやすし。……男の身にて傾城のあどめもなく、ぼんじやりとしたる事は、よくよくの心がけなくてはならず。……」の一文は、女方芸術についてしばしば引用される著名なものである。なお、2世(1704―54)は初世の長男が、3世(1720―74)は同じく四男が継いでいる。
[服部幸雄]
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1673~1729.7.15
歌舞伎俳優。元禄~享保期の京坂の名女方。俳名春水。屋号は橘屋。1698年(元禄11)に演じた「傾城浅間嶽(けいせいあさまがたけ)」の傾城三浦が出世役となり,享保期には空前の格づけを与えられた。写実的な地芸にすぐれ,女方芸の大成者とされる。芸談集「あやめぐさ」は著名。芸名は文化期の5世まで伝えられる。2世・3世は初世の長男と四男。4世は初世の次男山下又太郎の門弟で2世の養子となった。5世は3世の子。いずれも各時代を代表する女方。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…1629年(寛永6)に徳川幕府が歌舞伎に女優が出演することを禁じたため,能以来の伝統によって男性が女の役をつとめ,現在に至る。女方の演劇的基礎は初期の芳沢あやめ,瀬川菊之丞によって作られた。2人とも日常生活を女性のように暮らし,これが幕末まで女方の習慣となった。…
…一般的にいって,元禄歌舞伎では写実的な芸が重んじられた。その趨勢の中で,芳沢あやめらによる女方芸の完成が果たされたのである。敵役(かたきやく)や道外方(どうけがた)の芸が確立し,重んじられたのも注目すべきことである。…
…江戸時代,それぞれの役者は11月から翌年10月までの1年間契約で劇場の専属となったが,その給金が1000両の高額に達した者を千両役者という。その最初は正徳・享保期(1711‐36)の初世芳沢あやめや2世市川団十郎といわれる。その後それ以上の高給の役者も出たが,一般には金額にかかわらず,最も格式の高い役者,最高の人気役者,技芸抜群の役者,またそれらを総合したすぐれた役者をいう。…
※「芳沢あやめ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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