芳香族性(読み)ほうこうぞくせい(英語表記)aromaticity

改訂新版 世界大百科事典 「芳香族性」の意味・わかりやすい解説

芳香族性 (ほうこうぞくせい)
aromaticity

ベンゼンなど芳香族化合物の異常な安定性を説明するための概念。アネトールアニス油の甘い香りの成分),バニリンバナナの香りの成分)などベンゼン環をもつ有機化合物の多くが芳香aromaを有することから転じて,これらの熱力学的安定性を説明するための概念として芳香族性ということばが使われるようになった。これらの化合物は,反応性の点からいえば,かなり反応性に乏しく,付加反応を起こさず,求電子置換反応が起こりやすい(求電子反応)。また,環の熱力学的安定性の点からいえば,ベンゼン環の三つの二重結合相互作用(共役)がないと仮定した場合に比較して150kJ/molほど安定化している。すなわち,この150kJ/molはベンゼン環の3個の二重結合の相互作用に基づく共鳴安定化エネルギーと考えられる。

事実,ベンゼンの炭素-炭素結合の長さはすべて等しく,1.397Åであり,純粋な二重結合(1.388Å)と単結合(1.479Å)の長さの平均値にだいたい一致する。

 このようなベンゼンの安定性を理論的に説明するために,1931年ドイツのヒュッケルErich Armand Arthur Joseph Hückel(1896-1980)は分子軌道法を用いてヒュッケル則を提出した。ヒュッケル則によれば,4n+2個(n=0または自然数)のπ電子をもつ環は安定で芳香族性を示す。たとえば,ベンゼンはこのn=1の場合に相当する。一方,シクロオクタテトラエン(8個のπ電子をもつ)やシクロブタジエン(π電子4個)などは4n個のπ電子をもつので不安定であり,芳香族性を示さない。事実,これらの化合物はベンゼンよりも室温で不安定であり,シクロブタジエンは最近になってやっと極低温でその存在が確認された。

ヒュッケル則のあてはまる環式化合物として,[18]アヌレンなども知られている。

また,中性分子に限らず表に示すようなイオン種に対してもヒュッケル則が適用できることがわかっている。すなわち,4n+2個のπ電子をもつ平面環状π電子共役系は中性分子でも電荷を有する分子(アニオンまたはカチオン)でも,同数のπ電子をもつ直鎖π電子共役系と比較して安定化しており,芳香族的aromaticであるという。逆に,同様の比較において,不安定化していれば,反芳香族的anti-aromaticであるという。

 芳香族的な分子の著しい特徴は,熱力学的に安定であることのほかに,磁場をかけると,環状に分布する4n+2個のπ電子が環電流を誘起することである。図に示すように,ベンゼンに外部磁場H0をかけるとこれに直角な方向に環電流が生じる(実線の矢印で示す)。この環電流は点線の矢印のような局所磁場を誘起するため,ベンゼン環の外側に位置する水素原子H0より強い磁場に置かれていることになり,このような水素原子の核磁気共鳴スペクトルは,電子軌道がsp2の炭素に結合した水素原子としては異常に低磁場(δ7.30)にあらわれる。逆にπ電子の形成する環電流の内側に水素原子が存在する[18]アヌレンのような系の核磁気共鳴スペクトルは,6個の環内水素がδ-2.99という高磁場側に,12個の環外水素がδ9.28という低磁場側にあらわれる。これは,18個のπ電子が形成する強い環電流のため,環内水素は外部磁場H0より弱い磁場を感ずることによる。このような効果は環電流効果と呼ばれており,芳香族性を定量する最も正確な物理量である。

 1967年にアメリカのゴールドスタインM.J.Goldsteinは下に示すような三次元における三つのπ電子系の相互作用によっても系の安定化が得られる場合があることを理論的に示し,この現象をビシクロ芳香族性と名づけた。実際にこれらのイオン種は室温で安定に単離される。


非ベンゼン系芳香族化合物
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「芳香族性」の意味・わかりやすい解説

芳香族性
ほうこうぞくせい
aromaticity
aromatic character

芳香族化合物がもっている特徴的な物理的および化学的性質をいう。物理的性質としては同数の炭素をもつ共役アルケンよりも大きな共鳴エネルギーを有し、反磁性効果が大きく、結合交替の小さいことがあげられる。芳香環に外部から磁場がかかると、環状に非局在化しているπ(パイ)電子により反磁性磁場が誘導されるような向きの電流(環電流)が芳香環の周辺に流れるために、芳香族化合物は反磁性を示すと考えられている。この反磁性磁場のために、芳香環を構成する炭素原子に結合して環外に向いている水素のNMR(核磁気共鳴)シグナルが低磁場にシフトし、環内に向いている水素のNMRシグナルは逆に高磁場にシフトするので、この現象を利用して芳香族性の有無と強さが評価できる。化学的性質としては、共役した不飽和結合を有するにもかかわらず、酸化や水素化反応に抵抗し、ハロゲン、硝酸、硫酸など求電子試薬に対しては置換反応をおこしやすい性質をいう。芳香族性は環状の不飽和化合物において、単結合と二重結合が交互に存在し(共役という)、かつ平面構造を有することとあわせて、存在するπ電子が4n+2個であることが条件として要求される。これらはヒュッケル則とよばれる。詳しくは「芳香族化合物」の項を参照されたい。

[向井利夫・廣田 穰 2016年2月17日]

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化学辞典 第2版 「芳香族性」の解説

芳香族性
ホウコウゾクセイ
aromaticity

環構造をもつ芳香族化合物に特有な性質.
(1)熱化学的に安定で,対応する脂肪族化合物に比べて燃焼熱,水素化熱が小さい.
(2)付加反応よりもむしろ置換反応が起こりやすい.
(3)フェノール類は酸性を示す.
(4)平面構造をもち,C原子間の結合の長さはほとんど同じである.
(5)反磁性異方性が大きく,環周辺の水素のNMRスペクトルに大きな環電流効果が認められる.
(6)紫外線吸収スペクトルは,対応する脂肪族化合物より長波長側にある,
などである.ヒュッケル則では,環内に4n+2個のπ電子をもつ共役ポリエンはπ電子の非局在化により基底状態が安定となり,芳香族性を示すとしている.芳香族炭化水素以外にも,ピリジンやフランのように6個のπ電子を含む環の構造をもったものには,芳香族性がある.これに反し,シクロオクタテトラエンC8H8は平面構造をもたず,ほとんど芳香族性を示さない.D.P. Craigは原子価結合法の立場から,共役環で基底状態が全対称のものを芳香族,そうでないものを擬芳香族に分類し,後者では共鳴による安定化が小さいことを示した.このように芳香族性の尺度としては,化学反応性や非局在化エネルギーのほかに,π電子の非局在化による環電流効化や結合交替が用いられている.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の芳香族性の言及

【芳香族化合物】より

… ベンゼン環はきわめて安定な環であり,芳香族化合物は脂肪族化合物や脂環式化合物とは異なる反応性をもつ。この性質を芳香族性とよぶ。芳香族性の起源に関しては議論があったが,1938年ドイツのヒュッケルErich Armand Arthur Joseph Hückel(1896‐1980)が分子軌道法によってその説明に成功した。…

※「芳香族性」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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