茂木陣屋跡
もてぎじんやあと
[現在地名]茂木町茂木
茂木町に置かれた常陸谷田部藩の茂木領支配の役所。慶長一五年(一六一〇)細川興元が一万石で茂木に入部し、居所を構えた。この時茂木藩領となったのは、河又・山内・入郷・小深・牧野・河井・飯野・後郷・馬門・小井戸・増井・槻木・藤縄・坂井・上菅又・下菅又・高岡・天子・神井・林・三坂・鮎田・福手・檜山・青梅の二五ヵ村および石下村(現市貝町)・芦沼村(現益子町)を加えた計二七ヵ村で、幕末まで不変。
元和二年(一六一六)興元は大坂の陣の功により、常陸国筑波・河内両郡において六千石余を加増され、同四年興元の跡を襲った興昌は、居所を常陸谷田部(現茨城県つくば市)に移した。その理由は参勤交代に便利なためという。茂木の旧藩庁にはそのまま陣屋が置かれ、茂木領支配の要となった。陣屋は間口二一間・奥行三一間、逆川の東岸に置かれ、その周辺および逆川西岸には侍屋敷・長屋などが配され、郭内といって町場と区別された。逆川には本陣橋が架かり、東西郭内を結んでいた。陣屋周辺には町奉行はじめ一六名の上級藩士の屋敷が集中する。西側には長屋が多く、西端に大手門があった。郭内には要所に土塁・門があり、城郭的色彩が強い(天保一三年「茂木藩陣屋絵図」生井家蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報