デジタル大辞泉 「荒地」の意味・読み・例文・類語
あれち【荒地】[作品名]
日本の詩同人誌。名称はにちなむ。昭和14年(1939)、鮎川信夫・森川義信らにより創刊、全7冊を刊行。第2期は昭和22年(1947)創刊、翌昭和23年(1948)まで刊行。昭和26年(1951)から昭和33年(1958)までは年刊の「荒地詩集」を刊行。同人にはほかに田村隆一・三好豊一郎・北村太郎・中桐雅夫・吉本隆明らがいて「荒地派」とよばれ、戦後日本の現代詩を牽引した。
詩同人誌。誌名はT・S・エリオットのThe Waste Landにちなむ。第一次『荒地』は鮎川信夫(あゆかわのぶお)、森川義信らにより1939年(昭和14)3月創刊。全7冊。第二次『荒地』は1947年(昭和22)9月創刊、1948年6月第6号まで雑誌で刊行。1951年8月より1958年まで、年刊詩華集『荒地詩集』8巻、別冊『詩と詩論』2巻、『荒地詩選』1巻を刊行。『荒地詩集1951』巻頭に掲載されたマニフェスト「Xへの献辞」は、その文中の「現代は荒地である」という宣言によって多大な反響を呼び起こした。戦争体験を凝視し、詩に文明批評的要素を導入して、戦後詩史のなかで、もっとも強力な詩運動の拠点の一つであった。同人は、鮎川信夫、田村隆一、北村太郎、三好豊一郎、中桐雅夫(まさお)、黒田三郎、木原孝一、吉本隆明、中江俊夫ほかである。
[原崎 孝]
アメリカ生まれのイギリスの詩人T・S・エリオットの長編詩。1922年刊。全編433行。「死者の埋葬」「チェスの勝負」「火の説教」「水死」「雷が告げたこと」の5部からなり、第一次世界大戦後のヨーロッパに生じた精神的混迷と虚無の諸相を描く。一貫した筋(すじ)はないが、ロンドン市中の情景、上層下層の人々の自堕落な生活、むなしい会話の交錯、観察者の感想など断片的な章句を脈絡なしにつなぎあわせて、陰鬱(いんうつ)な都会の心象風景を描き、聖書、ダンテ、ボードレール、ウパニシャッドなど、多様な引用を随所に挿入して、過去と現在を比較している。だが詩人の意図は現代社会の風刺や批判だけにあるのではない。中世の聖杯伝説や古代の豊穣(ほうじょう)神話を援用して、植物神埋葬の儀式がやがて春の再生をもたらすように、過去の伝統が不毛の現在に浸透し、生命の救済と復活をもたらすことを願ってもいる。ジョイスの『ユリシーズ』(1922)などとともに、イギリスのモダニズム文学の代表作の一つである。
[高松雄一]
『福田陸太郎・森山泰夫注解『荒地』(1978・大修館書店)』
昭和期の詩・評論雑誌。第1次は1939年3月から40年5月まで全5冊。《文芸思潮》と改題し,40年12月,6号を刊。鮎川信夫(1920-86),山川章(森川義信)らが中心であった。誌名はイギリスの詩人T.S.エリオットの詩《荒地The Waste Land》に由来する。第2次は47年9月創刊,48年6月終刊。全6冊。鮎川,加島祥造,北村太郎,木原孝一,黒田三郎,田村隆一,中桐雅夫,三好豊一郎ら戦争体験を経たモダニズムの詩人たちがこの雑誌に結集し,さらにその拡大発展として年刊《荒地詩集》全8冊(1951-58)を刊行,いわゆる〈荒地派〉の運動として戦後詩の主流を形成する存在となった。この運動の意義は,現代を破滅的な〈荒地〉の時代と見る危機感から出発し,詩作を通じて人間のありかたを思想的に問い詰めつつ,人間の全体性と共同性を回復する道を探ったところにある。それは技巧を偏重した戦前のモダニズムへの批判でもあった。なお《荒地詩集》からは高野喜久雄,中江俊夫,吉本隆明らが登場した。
執筆者:吉田 凞生
イギリスの詩人T.S.エリオットの詩。1921年秋,神経の変調を治すため滞在していたローザンヌで書かれた初稿が,エズラ・パウンド(献辞の〈私にまさる工匠〉)の意見に従って,ほぼ半分の長さに縮められ,22年10月雑誌《クライティリオン》創刊号に発表。同年アメリカで,自注をつけて単行本として出版された。〈4月はいちばん残酷な月〉と始まる第1部〈死者の埋葬〉,有閑夫人の部屋と居酒屋を舞台とした第2部〈チェス遊び〉,テムズ河畔の風景による第3部〈劫火の説教〉,第4部は〈水死〉,そして第5部〈雷の言ったこと〉はサンスクリット語の〈平和あれ〉で終わる。フレーザーの《金枝篇》などに語られる不毛から復活への神話的パターンを踏まえて,現代の荒地によみがえりが可能かという問いが発せられている。古今東西の神話や古典からのおびただしい引用をちりばめ,多声的・非連続的な語りの手法を駆使した作風は,まぎれもなく現代詩を革新した。
執筆者:高橋 康也
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…イギリスの詩人T.S.エリオットの詩。1921年秋,神経の変調を治すため滞在していたローザンヌで書かれた初稿が,エズラ・パウンド(献辞の〈私にまさる工匠〉)の意見に従って,ほぼ半分の長さに縮められ,22年10月雑誌《クライティリオン》創刊号に発表。同年アメリカで,自注をつけて単行本として出版された。〈4月はいちばん残酷な月〉と始まる第1部〈死者の埋葬〉,有閑夫人の部屋と居酒屋を舞台とした第2部〈チェス遊び〉,テムズ河畔の風景による第3部〈劫火の説教〉,第4部は〈水死〉,そして第5部〈雷の言ったこと〉はサンスクリット語の〈平和あれ〉で終わる。…
…〈純文学〉と〈大衆文学〉との間の区別も徐々にあいまいになり,映像文化によって育った世代が文学読者になるにつれて,マスコミにおける文学のあり方が問われつつ現在にいたっている。【磯田 光一】
[詩]
戦後の詩はまず田村隆一らの《荒地(あれち)》派の詩人たちによって推進される。いわゆる戦中派に属して戦争体験を負った彼らは,詩による人間同士の連帯を信じて現代の〈荒地〉に立ち向かうことを主張した。…
…同じころ精力的に書いた評論では,彼のもう一つの影響源であるエリザベス朝劇作家や形而上詩人の再評価を唱えたが,彼の究極の狙いは当時の保守的な詩壇に衝撃を与えるような新しい詩的言語の創造であったろう。それを最も明確に説いた評論が《伝統と個人的才能》(1919)であり,それを最も果敢に実践した作品が長編詩《荒地》(1922)であった。同じ年に発表されたジョイスの《ユリシーズ》とともに現代文学の金字塔となったこの詩は,第1次大戦後のヨーロッパの精神的荒廃を神話的文脈においてみごとに描ききったその前衛的手法によって,世界的な影響を及ぼした。…
※「荒地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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