デジタル大辞泉
「荒正人」の意味・読み・例文・類語
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荒正人
あらまさひと
(1913―1979)
評論家。福島県鹿島(かしま)町(現、南相馬(みなみそうま)市)に生まれる。東京帝国大学英文科卒業後、中学教師をしながら、埴谷雄高(はにやゆたか)の『構想』、大井広介の『現代文学』同人となり、評論、翻訳を発表。第二次世界大戦後『近代文学』創刊に参画、戦後期を自ら「エゴイズムを拡充した高次のヒューマニズム」を志向すべき「第二の青春」を主張して、その中心的存在となった。「政治と文学」論で中野重治(しげはる)と、主体性論で加藤周一と論争したほか、世代論、知識人論などでも積極的に問題提起し、戦闘的な評論活動を続けた。おもな著書に『第二の青春』(1947)、『負け犬』(1947)、『市民文学論』(1955)のほか、『夏目漱石(そうせき)全集』本文校訂やその研究書などがある。
[小野寺凡]
『『荒正人著作集』全5巻(1983~1984・三一書房)』
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あらまさひと【荒正人】
1913‐79(大正2‐昭和54)
評論家。福島県生れ。幼時から各地を転々し鳥取一中時代に組合教会の洗礼を受ける。しだいに社会主義思想に傾き山口高校時代,学生運動に加わる。東京帝大英文科卒業。マルクス主義運動の敗退と転向を目撃し,戦中の“暗い谷間”を耐えた体験を基礎に,戦後本多秋五らと《近代文学》を創刊,先端に位置して活動した。〈第二の青春〉〈民衆とはたれか〉〈終末の日〉など高揚した評論に,エゴイズムを拡充した高次のヒューマニズムを唱え,世代論,主体性論,戦争責任論,中野重治らと論争した“政治と文学”論争など,戦後の文学思想問題の基本テーマを先駆的に展開した。
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荒正人
あらまさひと
[生]1913.1.1. 福島,鹿島
[没]1979.6.9. 東京
文芸評論家。山口高等学校を経て 1938年東京大学英文科卒業。中学教師のかたわら,評論,翻訳にたずさわった。第2次世界大戦後いちはやく『近代文学』の創刊に参加,政治に対する文学の自律と個我の確立を主張,戦後派の台頭を促した。その後,『漱石研究年表』 (1974) など夏目漱石研究上の業績もある。主著『第二の青春』 (1947) ,『市民文学論』 (55) 。
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荒正人 あら-まさひと
1913-1979 昭和時代の文芸評論家。
大正2年1月1日生まれ。旧制山口高時代に学生運動に参加。戦後本多秋五(しゅうご)らと「近代文学」を創刊。「政治と文学」論で中野重治と,主体性論で加藤周一と論争する。夏目漱石の研究で知られる。法大教授。昭和54年6月9日死去。66歳。福島県出身。東京帝大卒。別名は赤木俊。著作に「負け犬」「第二の青春」「夏目漱石」など。
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