精選版 日本国語大辞典 「荘子」の意味・読み・例文・類語
そう‐し サウ‥【荘子】
そう‐じ サウ‥【荘子】
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生没年不詳。中国古代の思想家。諸子百家のなかの道家(どうか)の代表者。またその著作とされる書物『荘子(そうじ)』のこと。
[金谷 治 2015年12月14日]
荘が姓、名は周(しゅう)。戦国時代の紀元前300年ごろから孟子(もうし)にやや遅れて活躍したらしい。宋(そう)国の蒙(もう)(河南省商邱(しょうきゅう)県)に生まれる。漆園(しつえん)の小役人となったときもあるが、おおむね自由な生涯を送った。論理学派の恵施(けいし)と親しい交遊があったが、その他の事績は明白でない。普通、老子(ろうし)の思想を受けて道家思想を大成したとされ、老荘思想という併称もあるが、老子の事績と年代のあいまいなことや両思想の違いなどの点から、その前後関係には疑問ももたれている。老子の現実的な成功主義と違って、荘子では楊朱(ようしゅ)の為我(いが)(自己中心)説や田駢(でんぺん)の貴斉(きせい)(万物平等)説を受けた思弁的傾向が強い。
[金谷 治 2015年12月14日]
『荘子(そうじ)』は33編で、内編7、外編15、雑編11に分かれているが、その内編が比較的古くて荘周のものに近く、外・雑編は後世の発展で老子との折衷や他思想との交流がみられる。ほぼ戦国末(前3世紀末)にはまとまっていたと思えるが、テキストの分合はその後も行われ、今日の33編が定まったのは晋(しん)の郭象(かくしょう)の注本以来である。郭象注は完本として現存する最古の基本資料で、その後、唐の成玄英(せいげんえい)(601ころ―690ころ)の『注疏(ちゅうそ)』、宋(そう)の林希逸(りんきいつ)(1193―?)の『口義(こうぎ)』のほか多くの注がつくられた。日本で江戸時代に広く読まれたのは『口義』であった。
[金谷 治 2015年12月14日]
荘子の思想はまず斉物(せいぶつ)思想をその根底に置いている。それは現実のすべての差別の相を平等視する一種の観念哲学であって、生死、貴賤(きせん)、大小から是非善悪の問題まで、それらの対立相を斉一視する超越的な立場を強調し、その対立の相にとらわれることから生まれる煩わしい現実の苦悩を超脱しようとしたものである。この高い境地を「道枢(どうすう)」(道の中心)とか「天鈞(てんきん)」(天の中心)とよんだ。そして俗界の束縛から解放されたその自由な境涯を「逍遙遊(しょうようゆう)」(とらわれのないのどかな遊び)と名づけた。その境地に達するための方法が「因循(いんじゅん)」である。それは、「自(おの)ずからに然(しか)る」自然な絶対の道理に「因(よ)り循(した)がい」身をまかせていくことである。そこには無私忘我の態度が要求される。「坐忘(ざぼう)」がそれであった。人としてのさかしらを捨てて自ずからなる絶対の理と合一するところ、「天鈞に休(いこ)う」境地にこそ、とらわれのない伸びやかな精神の自由世界が開かれる。そこには一種の超脱の宗教性があった。要するに、万物斉同の哲学とそこに基礎を置く因循主義とによって、精神の自由と平安を求めるのが、荘子の思想であった。
[金谷 治 2015年12月14日]
ところが荘子の後学になると、その超脱の宗教性は神仙思想との結合を開き、内面的な修行の強化をもたらすが、他面ではその現実的な効果を求める世俗的関心も強まり、処世や政治での成功も追求されて、『老子』との接近も強くなっている。そのありさまは『荘子』の外・雑編にみられるが、理想に達するための実践として内的な本性への注視が加わり、「性に反(かえ)り」、あるがままの「性命の安らかさに落ち着く」ことが強調されるのも、その特色である。やがて漢の武帝(ぶてい)のときの『淮南子(えなんじ)』では、老荘折衷の立場で諸思想を統合しようとするが、そこでもこの傾向はとくに著しい。『荘子』がよく読まれて、その思想が時代の流行ともなったのは魏晋(ぎしん)から六朝(りくちょう)時代で、いわゆる清談の内容も多く荘子に関係し、貴族たちの超俗の精神を支えるものとなった。
一方、後漢(ごかん)からおこった道教は、老子を太上老君(たいじょうろうくん)として神格化し、やがて老子を開祖として祭り上げたが、それに伴って荘子もまた神仙化し神格化された。梁(りょう)の陶弘景(とうこうけい)によって真霊の位として第三級に並べられ、唐の玄宗(げんそう)によっては南華真人と尊称され、その書は『南華真経』とよばれることになった。
[金谷 治 2015年12月14日]
『金谷治訳注『荘子』(岩波文庫)』▽『『武内義雄全集6 老子と荘子』(1978・角川書店)』▽『福永光司著『荘子』(中公新書)』
「荘子」のページをご覧ください。
「荘周」のページをご覧ください。
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生没年不詳
戦国時代の思想家。名は周。宋の蒙(もう)(河南省商邱(しょうきゅう)県)の人。孟子(もうし)とほぼ同時期の人といわれる。老子の道にもとづき無為自然を主とし,個人的解脱(げだつ)を重視し,自我を去って万物の絶対性に従えと説いた。『荘子』33編のうち荘子の自作は「内篇」7編。寓言,神話をまじえた縦横自在の名文で,論理は透徹し,後世の思想,文学に与えた影響は大きい。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…彼は現実に存在する大国を否定し,自給自足の村落のごとき国を理想としたが,その根底には,有も無もともに一つの道(原理)によって成立し,つねに相通じ,有から無へ,無から有へと自然に変化するから,人為を必要としないのを最高とする考えがあった。この道を根本とする考えをさらに発展させ,大小,善悪,賢愚,生死などすべての差別は,同じ道のあらわれ方のちがいにすぎず,差別にとらわれずに自由に生活を楽しむべきであると説いたのが荘子である。老子や荘子の考えは,道を根本として構成されるので,道家とよぶ。…
…その際道を〈無〉として規定し,無を万物の根元であるとしたことは,中国に初めて無の哲学を導入したものとして注目される。同じく道家の荘子は,この老子の無を〈無限〉の概念に発展させた。無限の立場から見れば,上下左右などの空間的位置の相違や,善悪美醜などの価値の対立はいっさい消失する。…
…上述の食不浄悪鬼や糞土の瓦や塀の話がすでにそうである。道はどこにあるかという東郭子の問いに,荘子は螻蟻(けらむし)の中,稊稗(いぬびえ)の中,瓦甓(かわら)の中にあると答えたあげく,〈在屎溺〉(〈糞や尿の中にある〉の意)といって東郭子を黙らせてしまう(《荘子》知北遊篇)。牛糞を意に介さないインド人も,《マヌ法典》が糞尿は住居より遠ざけよと説くのに従って,今も戸外で排便する風習を農村に残している。…
※「荘子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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