百科事典マイペディア 「荘家の一揆」の意味・わかりやすい解説
荘家の一揆【しょうけのいっき】
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…要求が容れられなければ逃散(ちようさん)つまり耕作放棄という非常手段で闘った。この強訴逃散は荘家の一揆(しようけのいつき)とも呼ばれ,武力蜂起に近いものもあった。荘家の一揆は荘園単位の闘争で,荘園の枠を超えて徳政を要求した土一揆つまり徳政一揆とは区別されるが,両方を含めて土一揆と呼ぶことができる。…
…政治の中心地であったために,保元・平治の乱(1156,1159)以来,戦国の争乱まで,治承・寿永の内乱,南北朝内乱,応仁・文明の乱というように,多くの内乱の主戦場となり,そのために多くの民衆が戦乱や兵粮米(ひようろうまい)の徴発に苦しむという側面もあった。また,山城国の荘園は小規模なものが多く,開発領主に代表されるような有力な在地領主が存在せず,早くから村落の自治的な結合が発達し,それを基盤として,荘園領主に年貢減免や井料の下行(げぎよう)を要求する荘家の一揆(しようけのいつき)が頻発した。一方,京都や奈良の影響によって貨幣経済の浸透も早く,貨幣の貸借を前提とする土地移動も激しく,その影響によって,徳政令(とくせいれい)を要求する一揆がさかんに起きた。…
※「荘家の一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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