精選版 日本国語大辞典 「菅江真澄」の意味・読み・例文・類語
すがえ‐ますみ【菅江真澄】
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(ロバート・キャンベル)
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江戸中期の国学者、紀行家、民俗学者。本名白井秀雄。三河国(愛知県)岡崎か豊橋(とよはし)付近の人。菅江真澄を称したのは、晩年秋田に定住してから。賀茂真淵(かもまぶち)の門人植田義方(うえだよしえ)(1734―1806)に国学を学ぶ。各地を旅行して、庶民生活と習俗を日記と図絵に記録した『真澄遊覧記』50冊余(1783〜1812)は、近世の民俗誌的価値がきわめて高い。真澄は、1783年(天明3)30歳で旅立ち、信濃(しなの)、越後(えちご)、出羽(でわ)を経て津軽に入り、1788年松前に渡った。その後、下北(しもきた)に3年間滞在し、津軽では各地の文人・医師らと交わった。この間、弘前(ひろさき)藩の採薬掛となり、山野に入って薬草採集を行った。一方、秋田藩の地誌の編集にも従事した。津軽関係の著作としては『津軽の奥』『外浜奇勝』『津軽のをち』、南部(なんぶ)関係では『奥の浦うら』『おぶちの牧』『奥のてぶり』、秋田関係では『月の出羽路』『花の出羽路』などが代表的である。これらの紀行文によって、当時の各地の年中行事、伝承習俗や庶民生活の実際を詳しく知ることができる。秋田仙北(せんぼく)郡角館(かくのだて)で没し、秋田の寺内に葬られた。
[長谷川成一 2019年2月18日]
『内田武志・宮本常一編『菅江真澄全集』12巻・別巻1(1971~1981・未来社)』▽『内田武志・宮本常一編・訳『菅江真澄遊覧記』全5巻(平凡社・東洋文庫/平凡社ライブラリー)』▽『柳田国男著『菅江真澄』(1942・創元社)』
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1754~1829.7.19
江戸後期の国学者・紀行家。本名は白井英二のち秀雄,1810年(文化7)に菅江真澄に改名。三河国生れ。本草学・和学などを修めた。1783年(天明3)遊歴に旅立ち,以後28年間東北各地を回って歩いたあと,秋田藩久保田城下にとどまり,藩主の意にこたえ出羽国の地誌編集に従事。領内の角館で没した。遊歴中の日記「真澄遊覧記」70冊は,挿絵とともに貴重な民俗資料。うち40冊は藩校明徳館に献納された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…なお,江戸期には,学者,文人の紀行作品が多数刊行されており,林道春(羅山)《丙辰(へいしん)紀行》,賀茂真淵《旅のなぐさ》,本居宣長《菅笠日記》あるいは貝原益軒《岐曾路之記》,橘南谿《東遊記》《西遊記》などがあり,井上通女《東海紀行》のように女性によって書かれたものもある。特に注目すべきは菅江真澄の1783年(天明3)から1829年(文政12)に没するまでの70冊におよぶ《遊覧記》と称せられる旅日記で,幕末期の東北地方の常民生活を類例をみないほど詳細に記している。【三谷 邦明】
[近現代]
宿駅制度の改革と旅行の自由化,くわえて鉄道建設と海外交通とが近代の紀行文学の背景をなす。…
…菅江真澄(すがえますみ)著の歌謡書。1809年(文化6)ころの成立。…
※「菅江真澄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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