精選版 日本国語大辞典 「華岡青洲」の意味・読み・例文・類語
はなおか‐せいしゅう【華岡青洲】
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江戸末期の外科医。麻酔剤の開発を行い、麻酔下に日本最初の乳癌(にゅうがん)手術を行うなど積極的治療法を推進した。宝暦(ほうれき)10年10月23日、紀伊国(きいのくに)上那賀(なが)郡名手庄西野山村字平山(和歌山県紀の川市西野山)に生まれる。名は震、字(あざな)は伯行、随賢と号し、また居所の名をとって春林軒ともいう。父は村医者であった。23歳で京都に遊学、吉益南涯(よしますなんがい)(1750―1813)から古医方を、大和見立(やまとけんりゅう)(1750―1827)にオランダ、カスパル流外科を学び、在洛(ざいらく)3年ののち帰郷し家業を継いだ。古医方派の実証主義をとり、「内外合一、活動究理」、すなわち内科・外科を統一し、生き物の法則性を明らかにすることを信条として、積極的な診療技法を展開した。彼の開発した麻酔薬「通仙散」は、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)を主剤とするもので、ヨーロッパの薬方に採用されていることを知ったのがヒントになり、中国医書を参考に改良を加えたものである。成分の配合と麻酔効果の関係を研究するため、たびたび被験者として協力した母は、おそらくその中毒によって死亡、妻も失明した。この麻酔薬を用いて多くの手術を行ったが、1804年(文化1)10月13日、紀州五條(ごじょう)の藍屋(あいや)利兵衛の母、勘に行われた乳癌摘出手術は日本最初である。手術は成功したが、患者は翌1805年2月に死亡している。このほかに乳癌手術だけでも150例ほど行っている。門人録に署名しているもの305人、広く全国から入門が相次いだ。天保(てんぽう)6年10月2日死去。
[中川米造]
『呉秀三著『華岡青洲先生及其外科』(1923・吐鳳堂書店/複製・1994・大空社)』▽『松木明知著『華岡青洲と麻沸散――麻沸散をめぐる謎』(2006/改訂版・2008・真興交易医書出版部)』
(宗田一)
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1760.10.23~1835.10.2
江戸後期の外科医師。父は医家の直道。名は震(ふるう),通称は随賢,青洲は号。紀伊国西野山村(現,和歌山県紀の川市)平山生れ。京都で吉益南涯(よしますなんがい)に本道(内科一般)を,大和見立(けんりゅう)に紅毛流外科を学ぶ。3年後,帰郷して家業を継ぐ。創意実験のすえ全身麻酔剤の通仙散を作り,1804年(文化元)10月13日全身麻酔下ではじめて乳癌摘出手術を行った。多くの門弟を指導し,近代外科学の基礎を作った。著書はないが,門人の記録した口授本は多い。墓所は紀の川市の華岡家墓地。
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…また,それらが触媒となって,医療技術も大きく進歩した。たとえば紀州の華岡青洲は,マンダラゲを主成分とする麻酔剤を開発して,乳癌の手術などを多く実施した。その門人本間棗軒(1804‐76)は,四肢の切断や陰茎切断などの困難な手術にも成功している。…
… 日本では,江戸時代に癪(しやく)・積聚と呼ばれた内科疾患に,胃癌のような悪性腫瘍が含まれていたと思われる。膈噎(かくいつ)といわれた食道狭窄症には食道癌もあったし,舌疽(ぜつそ)といわれたものはほとんどが舌癌であったと思われるが,江戸時代にもはっきり認識されていたのは,華岡青洲の麻酔手術で名高い乳癌であった。また1915年に山極勝三郎と市川厚一がウサギの耳にタールを塗って皮膚癌の発生に世界で初めて成功したことは注目される。…
…サルファ剤の発見,A.フレミングによるペニシリンの発見,それに続く種々の抗生物質の発見・合成は,今日の外科無菌手術に大きな進歩をもたらした。1805年(文化2)世界に先駆けて華岡青洲が曼陀羅華(まんだらげ)(チョウセンアサガオ)を主成分とした麻沸湯による全身麻酔で乳癌の手術に成功した。それから約40年後アメリカのW.T.G.モートンらがエーテル麻酔に成功,以来吸入麻酔用ガスの開発は近代麻酔学の基礎となった。…
…1649年(慶安2)出島に到来したオランダの医師カスパルはフランスの外科医パレの医学を伝えたが,彼の教えた医学はカスパル流外科として知られる。 1774年(安永3)に杉田玄白,前野良沢らによってクルムスJ.A.Kulmusの解剖書を翻訳した《解体新書》が刊行されたが,それから31年後の1805年(文化2),華岡青洲は曼陀羅華(まんだらげ)(チョウセンアサガオ)を主とした麻沸湯による全身麻酔下での乳癌手術に成功している。これはW.T.G.モートンらのエーテル麻酔に先立つこと約40年であった。…
…モートンが麻酔の父と呼ばれるゆえんである。日本では1804年10月13日華岡青洲が通仙散(麻沸湯)を用いて全身麻酔下で乳癌の手術に成功した。これらが全身麻酔下で行われた手術の初めである。…
※「華岡青洲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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