小説家。明治27年3月12日福岡県京都(みやこ)郡豊津(とよつ)(現みやこ町)に生まれる。父は京都郡郡長。1913年(大正2)早稲田(わせだ)大学予科文科入学、年末除籍。貨物船水夫見習いに始まり職を転々と変え、21年名古屋セメント工務係のとき組合結成を図り解雇された。『名古屋新聞』労働問題担当記者となり、筆名で時評等を執筆、同時に名古屋労働者協会に参加。協会を代表してマルクス主義的な労働組織レフトに参加。23年逮捕、25年出獄。木曽(きそ)谷のダム工事現場で働く。『文芸戦線』誌に短編『淫売婦(いんばいふ)』(1925)、『セメント樽(だる)の中の手紙』(1926)が掲載、文芸戦線社同人に推され、西尾菊枝と結婚、東京へ出た。7月短編集『淫売婦』刊行。10月長編『海に生くる人々』を刊行。関東大震災後の高揚期にあったプロレタリア文学の山頂に位する作者として広く一般の文壇の側からも評価された。以後、プロレタリア文学運動の組織が分裂・統合し、共産党支持のナップと『労農』派支持の労農芸術家連盟との対立に固定する過程を通し、一貫して労芸派に属し、その派の代表的作家として活躍。32年(昭和7)労芸解散に際し青野季吉(すえきち)らと対立し、里村欣三(きんぞう)らとプロレタリア作家クラブを創設。34年1月土木工事の帳付けとして下伊那(しもいな)に移住。以後各地を転々としながら作品集『今日様(こんにちさま)』(1935)など数冊の著作を刊行。45年(昭和20)6月開拓団員として満州(中国東北部)北安省に赴き、敗戦で引揚げの途中、同年10月18日徳恵駅付近で病没。
[祖父江昭二]
『『葉山嘉樹全集』全6巻(1975~76・筑摩書房)』▽『『葉山嘉樹日記』(1971・筑摩書房)』▽『浦西和彦著『葉山嘉樹』(1973・桜楓社)』
大正・昭和期の小説家
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小説家。福岡県京都(みやこ)郡豊津村生れ。豊津中学を出て,早稲田大学予科文科に進んだが中退。1913年から数年間,外国航路の貨物船の水夫見習いや室蘭・横浜航路の石炭船の下級船員として働いたが,負傷して下船。帰郷し,鉄道や学校の事務員などをしながらロシア文学に傾倒。19年に名古屋に出て,セメント会社の工務係や新聞記者などをしながら労働運動に参加した。多くの労働争議にかかわり,入獄すると,獄中で自分の体験を作品に生かす小説の制作にはげんだ。そうして生まれた《淫売婦》(1925)や《セメント樽の中の手紙》(1926)を《文芸戦線》に発表し,長編《海に生くる人々》(1926)を出版して,大正から昭和への転換期のプロレタリア文学を代表する作家の地位を確立した。34年,長野の山村に移住,鉄道工事や農業に従事するかたわら短編集《今日様》などを残したが,43年開拓移民として満州に渡り,45年10月,引揚げ列車の中で病死した。
執筆者:木村 幸雄
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1894.3.12~1945.10.18
昭和前期の小説家。福岡県出身。早大予科中退。船員などの職を転々とする。労働運動に参加し,投獄中に作家生活に入り,1925年(大正14)「淫売婦」を発表。「文芸戦線」同人。翌年の「海に生くる人々」はプロレタリア文学初期の傑作として著名。のち長野県に移り,その風土や生活を反映した作品を執筆。43年(昭和18)満州開拓村へ渡るが,引揚げの車中で病没した。
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