デジタル大辞泉
「薩摩」の意味・読み・例文・類語
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さつま【薩摩】
- [ 1 ]
- [ 一 ] 九州南部、鹿児島県西半部の旧国名。西海道一一か国の一つ。古代は隼人(はやと)族の居住地。鎌倉時代に島津氏が守護となり、江戸時代は一国一藩を形成。廃藩置県後、鹿児島県に編入。薩州。
- [ 二 ] 鹿児島県の北西部の郡。川内(せんだい)川の中流域にある。かつては薩摩川内市域も含んでいた。
- [ 2 ] 〘 名詞 〙
- ① 「さつまいも(薩摩芋)」の略。
- [初出の実例]「薩广から奈良へ飛越堀江町」(出典:雑俳・柳多留‐九一(1826))
- 「甘藷(サツマ)喰たなんていふんぢゃねえぞ」(出典:土(1910)〈長塚節〉九)
- ② 「さつまがすり(薩摩絣)」の略。
- [初出の実例]「小(こ)あらい飛白(かすり)の薩摩でも一枚買って貰はにゃあならねえ」(出典:歌舞伎・梅雨小袖昔八丈(髪結新三)(1873)二幕)
- ③ 「さつまけん(薩摩拳)」の略。
- [初出の実例]「『やっぱり三拳勝負がよからう』『ナニ一拳極(サツマ)が早くっていいやな』」(出典:滑稽本・箱根草(1844‐46)三)
- ④ 「さつまこくぶ(薩摩国府)」の略。
- [初出の実例]「『おめへさんなんざァ、こんなたばこをあがりいしたら、ほうがはれいす』〈略〉『コリャなるほどさつまだわへ』」(出典:洒落本・起承転合(1802)承句)
- ⑤ 「さつまぶし(薩摩節)」の略。
- [初出の実例]「江戸にては土佐半大夫、さつま、永閑〈略〉おすき次第に節はなほしてお語なされませう」(出典:浮世草子・御前義経記(1700)三)
- ⑥ 「さつまやき(薩摩焼)」の略。
- ⑦ 中国・四国地方の郷土料理。鯛やヒラメなどを焼いてすり身にし、白みそとだし汁でのばし、同じ魚の刺身をのせた熱い飯にかける汁かけめし。さつまめし。
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薩摩
さつま
鹿児島県北西部、薩摩郡にあった旧町名(薩摩町(ちょう))。現在はさつま町の東部を占める。旧薩摩町は1954年(昭和29)永野、中津川、求名(ぐみょう)の3村が合併して町制施行。2005年(平成17)宮之城(みやのじょう)町、鶴田(つるだ)町と合併、さつま町となった。旧町域は川内(せんだい)川中流域の農山村。JR鹿児島本線川内駅からバスの便があり、国道267号、504号が通じる。江戸時代(1600年代)永野金山が活況を呈し、薩摩藩財政に大きく貢献したが、現在は閉山(1953)している。米、肉牛、タバコ、養蚕などの農業や、林業が中心であるが過疎化が著しい。小工場の誘致もみられる。別府原(びゅうばる)古墳や観音滝(かんのんだき)公園がある。
[田島康弘]
『『薩摩町郷土史』(1968・薩摩町)』▽『『薩摩町郷土史資料3』(1980・薩摩町)』
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薩摩[町]【さつま】
鹿児島県北部,薩摩郡の旧町。川内(せんだい)川の支流に沿う米作地帯に当たり,葉タバコ,茶,トマト,カボチャを産し,肉牛,養豚など畜産も盛ん。木材,竹材の産が多く,シイタケ栽培も行われる。東部の永野は江戸時代金山の町として栄えた。2005年3月薩摩郡宮之城町,鶴田町と合併し町制。さつま町となる。79.49km2。4596人(2003)。
→関連項目首里城|琉球|琉球使節
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薩摩
さつま
鹿児島県北部,さつま町南東部の旧町域。シラス台地にある。 1954年求名村,中津川村,永野村の3村が合体して町制。 2005年鶴田町,宮之城町と合体しさつま町となる。平地は川内川支流の穴川が流れる東部にかぎられ,大部分が標高 500m内外の台地である。中心地区の永野は江戸時代から金山で知られたが,1953年閉山。別府原古墳などの遺跡がある。おもな産業は農林業で,米作のほか,果樹,野菜栽培,肉牛の飼育などが行なわれる。
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世界大百科事典(旧版)内の薩摩の言及
【鹿児島[県]】より
…北は宮崎・熊本両県に隣接する。
[沿革]
明治初年までの大隅国,薩摩国にあたり,江戸時代は鹿児島藩([薩摩藩])に属した。1871年(明治4)廃藩置県をへて,大隅国の一部と薩摩国,琉球国は鹿児島県に,他は都城県に属したが,翌年琉球国は鹿児島県を離れ,73年都城県が廃されて現在の県域となった。…
【遠州七窯】より
…しかし,朝日,古曾部,赤膚は遠州の活動期以後の窯である。他方,松平不昧が著した《瀬戸陶器濫觴(らんしよう)》では,遠州時代の国焼として高取,薩摩,肥後,丹波,膳所,唐津,備前の7窯をあげており,これらの窯は遠州時代に活動していた窯であった。この二つの資料のうち,共通している高取焼と膳所焼はたしかに遠州との結びつきも深いが,全体として七窯の選択根拠ははなはだあいまいで,信憑性は薄い。…
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