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デジタル大辞泉
「薩長同盟」の意味・読み・例文・類語
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薩長同盟
さっちょうどうめい
薩長和解連合ともいわれる討幕のための薩摩,長州両藩の盟約。文久3 (1863) 年8月,薩摩藩の公武合体論に押され朝廷に対する支配権を失った長州藩は,以後列国艦隊による砲撃,幕府征長軍の攻撃を受けて降伏し,藩主以下朝譴をこうむった。しかし,薩摩藩内に討幕派が台頭し,また幕府の薩長討伐計画が漏れるに及び,薩長両藩は土佐藩出身の坂本龍馬らの仲介のもとにこれまでの対立反目を解消し,慶応2 (66) 年1月,討幕のため提携の約を結んだ。京都の薩摩藩邸で薩摩藩側から小松帯刀,西郷隆盛,長州藩側から桂小五郎 (→木戸孝允 ) らがそれぞれ代表として会見した。この際の攻守同盟に基づき,長州藩は第2次幕長戦争に勝利を収めた。
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さっちょうどうめい【薩長同盟】
1866年(慶応2)薩摩藩と長州藩との間で結ばれた軍事同盟。薩長連合ともいう。66年6月5日に第2次長州征伐の総攻撃の命が下ったが,それより先の正月21日には坂本竜馬,中岡慎太郎の熱心な周旋で,薩摩藩の小松帯刀,西郷隆盛と長州藩の桂小五郎(木戸孝允)との代表間で長州再征の対処案6ヵ条が締結された。この同盟案によって薩摩藩は幕府の征長を背後から妨げ,一方長州藩は〈武備恭順〉を唱える高杉晋作や桂らが挙藩奮戦したので幕兵は諸所に敗れ,形勢非なるうちに将軍徳川家茂が大坂城中で没したので,長州と和して9月撤兵した。
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薩長同盟
1866年に薩摩藩[さつまはん]と長州藩[ちょうしゅうはん]が結んだ、江戸幕府をたおすための同盟です。坂本龍馬[さかもとりょうま]が仲立ちし、長州藩の木戸孝允[きどたかよし]、薩摩藩の西郷隆盛[さいごうたかもり]・大久保利通[おおくぼとしみち]らが会談してできました。
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