日本歴史地名大系 「蛭子山古墳」の解説
蛭子山古墳
えびすやまこふん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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京都府与謝(よさ)郡与謝野(よさの)町明石(あけし)の丘陵端にある三段築成の前方後円墳。墳丘の規模は、全長145.4メートル、後円部径約100メートル、同高13.6メートル、前方部幅60メートル、同高10.3メートル。葺石(ふきいし)・円筒埴輪(はにわ)列の痕跡(こんせき)が認められ、後円部墳頂には1辺6メートル余の方形区画の円筒列があり、その内側の墓壙(ぼこう)に主軸と直交して石枕(いしまくら)をつくりつけた舟形石棺が置かれていた。副葬品は、棺内から鏡、直刀、棺外から直刀、剣身、鉄鏃(てつぞく)、鉄斧(てっぷ)を検出。鏡は漢代の長宜子孫(ちょうぎしそん)内行花文鏡であり、背文、鈕孔(ちゅうこう)の磨滅が著しく、発掘者梅原末治(すえじ)(1893―1983)はこれを伝世して長く使用した結果だと考えている。1930年(昭和5)国史跡に指定。
[久保哲三]
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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