精選版 日本国語大辞典 「行司」の意味・読み・例文・類語
ぎょう‐じ ギャウ‥【行司】
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力士の公平な立合いを指導し、勝敗の裁定にあたり勝ち力士に軍配をあげ、勝ち名のりを授ける役目。職業相撲(ずもう)では烏帽子直垂(えぼしひたたれ)装束に軍配団扇(うちわ)を所持する。
平安時代の重要な宮中儀式である「相撲節会(すまいのせちえ)」には行司役はなく「立合(たちあわせ)」という進行係が左右から2人ずつ付き添っただけである。織田信長が1570年(元亀1)相撲大会を催したとき、初めて行司役らしき立合人が出て、当初「行事(ぎょうじ)」と書いた。のち江戸時代に勧進相撲が盛んになり、幕府の相撲禁止令の原因となる争乱を除くため、各地の相撲集団(職業相撲)に相撲作法(規則)と相撲技を伝える各流派の行司家が生まれた。
江戸相撲が相撲界の中心になって全国的な組織制度をつくった天明(てんめい)年間(1781~89)には、江戸と京都・大坂の数家になった。このころ熊本の吉田追風(おいかぜ)は大藩細川家を後ろ盾に、相撲家元として江戸相撲を支配、京坂相撲は古くから京都の相撲の御家五条家の傘下にあり、それぞれ行司は家元の故実免許を得て作法を伝えた。京坂行司は1925年(大正14)に絶え、江戸時代から続く東京行司家の木村、式守の2家が繁栄して現在に及んでいる。
行司にも力士と同じように階級があり、最高位は木村庄之助(しょうのすけ)、次位は式守伊之助で、ともに立(たて)行司といい大関格で、大関・横綱の取組みを裁く。階級は、軍配の房(ふさ)と衣装の「菊とじ」という紐(ひも)の色により区別される。庄之助は紫房、伊之助は紫白(紫に白まじり)、三役格は紅、幕内格は紅白、十両格は青白、幕下格以下は青か黒を用いる。三役行司以上は足袋(たび)に草履(ぞうり)を履き、立行司は腰に短刀を帯びる。十両格と幕内格は足袋を履けるが、幕下以下の格は素足で土俵にあがる。年功序列が行司番付編成の原則であったが、1972年(昭和47)から、土俵判定の良否、声量の良否、日常の勤務状況などによって抜擢(ばってき)されることになった。行司定員は45名以内、十両格以上は20名以内と定められている。
[池田雅雄]
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(根岸敦生 朝日新聞記者 / 2007年)
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…兵法の大事として重視されるようになったのは室町の末期からで,武将の間で部下の指揮をするのに団扇を使うことが流行し,軍陣用のため羽の部分を皮で作り漆を塗り,柄は鉄を入れたものができて,その表面に日月星辰(せいしん)などを箔(はく)置きとして,軍配日取りの記号とすることが多くなって,軍配団扇の名でよばれるようになり,ついに軍配といえばこれをさすのが常となった。江戸時代にはいってから兵学の流行とともに形式化し,円形の羽は中くぼみとなり,表面中央の円周に月と十二支,外部に天の二十八宿,円内に金剛界大日の梵字,裏に胎蔵界大日の梵字を表したりしたが,18世紀以来,兵学の沈滞とともにしだいに衰え,相撲の行司の所用や端午の飾りにそのおもかげを残すにすぎなくなった。【鈴木 敬三】
[相撲の軍配]
行司が土俵上で,両力士の呼吸を合わせて,公平に立ち合うことを指図するとともに,勝敗の裁決を下す要具。…
※「行司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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