せい‐ざん【西山】
[1] 〘名〙
① 西の方にある山。にしやま。
※文華秀麗集(818)上・夏日臨泛大湖〈
嵯峨天皇〉「畏景西山没、清猿北嶼呼」
※梵舜本沙石集(1283)二「
当世は西山
(セイザン)の
浄土宗の人共、真言を習ひあへると聞く」
[2]
[三] 中国、
湖南省の零陵県(唐代の永州)にある山。
[四] 茨城県常陸太田市の
地名。
徳川光圀が隠棲し、「大
日本史」を編纂した西山荘がある。
にし‐やま【西山】
〘名〙
① 西の方にある山。せいざん。
※
蜻蛉(974頃)中「なほしばし身をさりなんと思ひたちて、にし山に、れいのものする寺あり」
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デジタル大辞泉
「西山」の意味・読み・例文・類語
にし‐やま【西山】
1 西方の山。
2 京都市の西に連なる山々。愛宕山・嵐山など。また、その一帯の称。東山に対していう。
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西山
にしやま
[現在地名]室戸市吉良川町 西山
西の川河口の北西方、羽根村境まで続く標高一〇〇―一八〇メートルの海岸段丘上にある集落。近世後期まで藩の留山とされ、一部に田野村(現安芸郡田野町)の郷士樋口家の領知と、田野浦の商人渋谷七之丞(寅屋)の開いた畠があった。七之丞の開発は失敗に終わり、字長野の一画に寅屋畑の地名を残すのみで終わった。
一九世紀初頭、家老深尾弘人が藩に届けて役知として開発する計画を立て、文化二年(一八〇五)に安芸郡下の和食(現芸西村)、吉良川・羽根の三ヵ村から各一二名の入植者を募集した。反当りの加地子米は田二斗五升、畑一斗、屋敷二斗の定めであった(安芸郡史考)。
西山
にしやま
[現在地名]丹原町古田
周桑平野の西方の山間にあり、興隆寺を中心とする一帯の山地。標高四五七・四メートル。現在、県の名勝に指定されている。
興隆寺文書の建長六年(一二五四)の条に「伊予国西山寺住僧等申殺生禁断間事 右当寺領内東西廿町余、南北五町也」とあり、興隆寺に対して西山寺の名がみえ、六波羅探題により広大な寺領が保護されていたことがわかる。寺領はその後も中世の戦乱中を通じ諸豪族により保護された。
「桑村郡三拾三村大手鑑」には、
<資料は省略されています>
とあり、寺の修築には近隣の諸山林の材木とともに寺山の材木が使用されたことがみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
せいざん【西山 Xī shān】
(1)中国,北京市の西郊に連なる群山の総称。軍都山脈の支派が東南に延びたもの。香山,玉泉山,妙峰山,翠微山,盧師山,潭柘(たんしや)山などの名山があり,山中には仏寺,道観が多く,林泉の美に恵まれた北京近郊第一の名勝地である。(2)中国,雲南省昆明市の南西,滇池(てんち)の西岸にそびえる名山。碧鶏山,睡仏山ともいう。南側の断崖を除けば,全山が森林におおわれ,山中には太華寺,華亭寺などが散在する。【日比野 丈夫】
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西山
にしやま
新潟県中西部,日本海に臨む柏崎市北部の旧町域。 1959年朝日町と二田村が合体して西山町が成立。 2005年柏崎市に編入。かつては西山油田の中心地であったが,現在は刈羽米の産地。天智天皇に燃える水を献上したと伝えられる妙法寺がある。
西山
にしやま
老ノ坂山地ともいう。京都府南部,京都盆地の北西を限り,南北に連なる山地。東に断層崖を見せる中・古生層の山系。主峰はポンポン山 (679m) 。山城と丹波の国境をなす。広くは,山地のほかその山麓の丘陵や台地も含まれ,向日 (むこう) 市大原野台地や長岡京市の長岡丘陵は,たけのこの特産地。近年は宅地化が進んでいる。
西山
にしやま
京都市右京区御室 (おむろ) の北方にある丘陵。桜の名所として知られる仁和寺は,この西山を背景としている。山麓は閑静な住宅地。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
世界大百科事典内の西山の言及
【滇池】より
…流入河川は20余,流出河川は海口河1本で,いずれも落差が大きく水力発電がさかんである。北岸には清代の大観楼があり,西岸の西山には元代の三清閣,太華寺などの建築群がある。【駒井 正一】。…
※「西山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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