西玄哲(読み)にし げんてつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西玄哲」の解説

西玄哲 にし-げんてつ

1681-1760 江戸時代中期の蘭方医
天和(てんな)元年生まれ。西玄甫(げんぽ)の子。外科医として幕府につかえ,延享4年寄合医から奥医師となる。門人杉田玄白(げんぱく)らがいる。楢林(ならばやし)鎮山が訳した「紅夷外科宗伝」を改編して「金瘡跌撲(きんそうてつぼく)療治之書」をあらわした。宝暦10年2月8日死去。80歳。江戸出身。名は規矩

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む