精選版 日本国語大辞典 「西芳寺」の意味・読み・例文・類語
さいほう‐じ サイハウ‥【西芳寺】
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応永七年(一四〇〇)住持急渓中韋の著した「西芳寺縁起」は創立を聖徳太子の別墅にさかのぼるといい、「和漢三才図会」「雍州府志」「山州名跡志」などにより抜きがたい伝説となっている。比較的信頼できる「夢窓国師年譜」は、天平年中(七二九―七四九)に行基が聖武天皇の勅願により創建した畿内四九院の一、「西方寺」を草創とする。「西芳寺縁起」は平城天皇の皇子高岳親王が薬子の変で皇太子を廃され、一時ここに住した空海について落飾、真如親王と号して入唐した。その後荒廃したが、平重盛が父清盛の怒りを避けて一時この寺に蟄居した。さらに親鸞が当寺の愚禿堂を築き、正嘉年間(一二五七―五九)北条時頼が諸国巡察の際、仮寓して桜堂と称したなどとも伝える。しかしいずれも実証的根拠はない。建久年間(一一九〇―九九)のちに幕府評定衆も務めた中原師員が堂舎を再建して本寺を西方・穢土の二寺に分け、法然を招請したという伝えは、師員が南北朝期に当寺を復興した摂津親秀の先祖にあたり、穢土寺の名も応安七年(一三七四)一〇月二九日の寄進状(地蔵院文書)にみえることから、ありうることである。
建武年間(一三三四―三六)の兵乱で荒廃したが、室町幕府の評定衆で当寺の檀越でもあった摂津親秀が暦応二年(一三三九)四月夢窓疎石を招請して復興。疎石は浄土宗を臨済宗に改め、名も西方寺から西芳寺と変えて西芳精舎の額を掲げ、本尊の阿弥陀如来にちなみ仏殿を
西芳寺は朝野の崇敬と幕府の保護も厚く、寄進や買得による寺領荘園は急速に集積された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市西京区松尾神ヶ谷町にある臨済(りんざい)宗天竜寺派の寺。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。洪隠(こういん)山と号し、一般には苔寺(こけでら)の名で知られる。『西芳寺縁起』によると、天平(てんぴょう)年間(729~749)に聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基(ぎょうき)が創建、畿内(きない)四十九院の一つで、西方寺と号したが、池庭は聖徳太子の別荘であったと伝える。また同記には延朗(えんろう)がこの地に池を掘った記述がみえ、西芳寺の創建とかかわりがあったとみられる。建久(けんきゅう)年間(1190~99)中原師資(もろかず)が堂宇・庭園ともに再建し、法然(ほうねん)(源空)を請(しょう)じたが、のち荒廃したため1339年(延元4・暦応2)に師資の子孫の摂津守(せっつのかみ)藤原親秀(ちかひで)が夢窓疎石(むそうそせき)を招請して復興。疎石は浄土宗を臨済宗に改め、名も「祖師西来 五葉聯芳」の義より西芳寺に変え、また庭園に調和するよう潭北亭(たんほくてい)、湘南亭(しょうなんてい)、方丈(ほうじょう)を建てた。その後、朝野の崇敬、幕府の保護も厚く、足利(あしかが)将軍の参詣(さんけい)、来遊も相次いだが、応仁(おうにん)の乱(1467~77)により池庭も荒廃した。乱後、一時再興されたが、また兵火にあい、江戸時代には再度の水害を受けた。現在の建物のほとんどは明治期の造営である。
現在の庭園は、疎石の造園当時の姿はほとんど失われているが、上下二段構えの庭からなる名園で、史跡・特別名勝に指定されている。下段は黄金池(おうごんち)(心字池(しんじいけ))を巡る池泉回遊式庭園、上段は枯山水(かれさんすい)の石組中心の枯山水庭園となっている。もとは下段に西方(さいほう)教院あるいは西方浄土(さいほうじょうど)寺、上段に厭離穢土(おんりえど)寺の2寺があったとみられる。池の周りには観音(かんのん)堂、少庵(しょうあん)堂、潭北亭、湘南亭(国の重要文化財)などの茶室がある。現在の湘南亭は慶長(けいちょう)(1596~1615)ころ千利休(せんのりきゅう)の次男少庵が再興、隠棲(いんせい)した茶室である。作庭当初は湘南亭付近の石垣部分から橋を架け、池中に瑠璃殿(るりでん)があり、浄土風庭園をなしていた。池泉・枯山水の意匠も大和絵(やまとえ)的で、石垣にも平安時代の影響がみられる。上段に通じる向上関をくぐると、ここからは禅的な境地が展開される。途中に須弥山(しゅみせん)の石組、指東庵(しとうあん)などがあり、その右手には疎石の築いた枯山水の石組があり、禅の境地を表現している。境内一帯は苔で覆われており、その種類は100種を超えるという。1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。なお、拝観は、観光としてではなく参拝冥加(みょうが)料としてその内容により料金が異なる。事前の申込みが必要。
[重森完途]
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…地上生の蘚類の群生した状態は美しいので,観賞用として庭園や盆景に利用される。京都市の西芳(さいほう)寺(苔寺)の庭園はコケを巧みに使った名園である。観賞用に利用される種類はオオスギゴケ,ホソバノオキナゴケ,コバノチョウチンゴケ,ヒノキゴケなどである。…
…夢窓国師は自然を愛好し,行くさきざきに名園をつくった。なかでも西芳寺の庭(図3)は,禅宗の世界観で構成された傑作である。この庭園が以後の庭園に与えた影響は測り知れないほどである。…
※「西芳寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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