解剖学(読み)かいぼうがく

精選版 日本国語大辞典 「解剖学」の意味・読み・例文・類語

かいぼう‐がく【解剖学】

〘名〙 生物体内部の構造を外部形態とともに観察記述する学問生体解剖して探究する。〔医語類聚(1872)〕

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デジタル大辞泉 「解剖学」の意味・読み・例文・類語

かいぼう‐がく【解剖学】

生物体の形態や構造を観察・記述する学問。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「解剖学」の意味・わかりやすい解説

解剖学
かいぼうがく

解剖によって生物体の組織や器官の配置、相互関係、および構築を調べることを主要な目的とする学問をいう。生物体の形態を観察することから、形態学のなかに包括する場合もある。解剖学は対象によって、人体解剖学動物解剖学、植物解剖学(後述)に分けることができ、また、各種の動物および植物についての比較が強調される場合は、比較解剖学とよばれる。解剖学はまた、その方法によってもいろいろに分けられる。人体解剖学、動物解剖学には、肉眼で解剖しながら構造を調べる肉眼解剖学(巨視解剖学)と、光学顕微鏡電子顕微鏡によって組織や器官の微細な構造を調べる顕微鏡的解剖学(組織学ともいう)がある。

 人体のある局所臓器の相互関係を調べる解剖学が局所解剖学で、臨床上、診断や外科的手術の際に重要な役割を果たす分野である。そのほか、人体の外形変化と内部構造との関係を研究する体表解剖学があり、彫刻絵画の基礎となるため、芸術(美術)解剖学ともよばれる。また、対象とする組織や器官によって、骨学、靭帯(じんたい)学、筋学、神経学、脈管学、内臓学などに分けられる。

 最近は電子顕微鏡、CT(コンピュータ断層撮影法)などの発達によって、超微細構造が対象となったり、生存状態に近い状態で構造を調べる条件が整い、解剖学の知識はおびただしく増加し、細分科の傾向が甚だしくなっている。

[嶋井和世・八杉貞雄]

解剖学の発展

解剖学は、もっとも古くから行われてきた学問の一つで、エジプト象形文字で書かれた『パピルス・エドウィン・スミス』という古い外科学の文献(紀元前1700以前)には、人体解剖の記録がみられるというが、いずれも断片的なものである。解剖学が、論理的な方法で始まったのは、古代ギリシアからといわれている。紀元前400年ころからアテネが解剖学の中心となり、紀元前340年ころの有名な『ヒポクラテス全集』中にも、アテネ解剖学の代表的な論文が載せられている。しかし、論文は体液論で展開されており、人体解剖に基づいているかどうかは不明である。アリストテレスは、人体の解剖は行っていないが、動物の解剖を数多く行い、比較解剖学を創設し、とくに発生学的研究に優れた業績が多い。

 アテネののちは、エジプトのアレクサンドリアが科学興隆の中心となり、解剖学も学問体系のなかに包含されるようになった。この時代に「解剖学の祖」といわれるヘロフィロスが出ている(紀元前300ころ)。ヘロフィロスは、動物と人体の両方を解剖した人物といわれ、脳を神経系の中枢器官と認め、運動神経と感覚神経の区別、髄膜(ずいまく)(脳膜)静脈洞に関する記載、大脳と小脳の区別、脳室、前立腺(せん)、十二指腸、乳糜(にゅうび)管の記載、動脈と静脈の区別、子宮の記載といった、多彩な解剖学上の仕事を残している。また、この時代には「生理学の祖」といわれるエラシストラトスも現れ、動物の解剖を通じて、身体の動きについてのさまざまな理論を考えた。彼によって、心臓や血管についての独創的な考察が加えられている。アレクサンドリア時代には、人体の解剖が行われたにもかかわらず、解剖に対する偏見や、これに伴う憶測や中傷も根強かった。

 古代の医師で、ヒポクラテス以後の最大の傑出者といわれるガレノスは、古代解剖学では忘れることができない人物である。ガレノスはおもに動物、とくにサルの解剖を行い、膨大な著作を残したが、彼の解剖学理論には、独自の哲学的思想が反映しているとされる。名著に『解剖手技』がある。ガレノスの解剖学上の知識や生理学的理論のなかには、16世紀なかばから17世紀にまで受け継がれたものもある。ガレノスは199年ころに死んだが、その後は解剖学もまったく終息した形となり、その進歩は止まってしまった。その理由の一つは、ガレノスが地上および宇宙にある事物は、すべて神によってつくられたという考え方をもっており、この思想がキリストの教義と一致したため、中世を通じて、彼の解剖学的ないしは生理学的理論が神話化され、信奉されたことによる。

 13世紀になり、ヨーロッパには数多くの大学が創設された。しかし、ボローニャ大学では、それ以前の1156年にはすでに医学部が設けられており、13世紀末には解剖は普通のカリキュラムとなっていた。ボローニャ大学教授のモンディノは、1316年『解剖学』を著し、解剖学の再興者とよばれた。彼の解剖書は、かならずしも近代の解剖学体系につながるようなものではないが、中世後期(1500ころ)までは大きな影響を与えた。15世紀になると、歴史的に有名な芸術家たちが輩出したが、これら芸術家は、人の形態を正確に表現するために解剖の経験をもっていた。もっとも有名なのがレオナルド・ダ・ビンチで、人体解剖に基づいた正確な解剖図譜を残している。ダ・ビンチの描いた人体骨格図、筋の表現様式、心臓の解剖図などは、解剖学者も及ばないほどのみごとな観察である。近代解剖学につながるような解剖学を体系づけたのはベサリウスで、『人体の構造について(ファブリカ)』(1543)を完成させ、彼の解剖学者としての名声を不朽のものとした。こうした大著を物したベサリウス自身は、実際の解剖を行った機会は、案外に少ないとされている。16世紀以降になると、解剖体の供給、入手も安定するようになり、解剖学は急速に近代解剖学へと発展していった。

 比較解剖学は、近代解剖学の発展と同様、16世紀になって博物学と解剖学が合流する形で出現した。フランスの博物学者であるロンドレG. Rondolet(1508―1566)やブロンP. Belon(1517―1564)は、海産動物や鳥類を研究し、この分野での先駆的な業績をあげている。その後キュビエのころに比較解剖学は隆盛を極めた。また、ダーウィンの進化論の影響を受けて、ヘッケルは比較解剖学、比較発生学と進化論を関連づけた。

[嶋井和世・八杉貞雄]

日本の解剖学のおこり

東洋において人体の解剖が行われたのは中国の宋(そう)代(980~1126)とされ、『欧希範(おうきはん)五臓図』『存真環中図(そんしんかんちゅうず)』などの解剖書が知られている。日本の医学も、こうした中国大陸から渡来した医学をもとに発展したものであり、多くの医書が輸入され、日本独自の医書も著された。人体解剖は18世紀なかばの山脇東洋(やまわきとうよう)によって始められたといえる。山脇東洋は、それまで言い伝えられてきた人体内部の構造に疑問をもち、動物解剖なども試みたが、なお問題は解決されなかった。このため、直接人体の内部を確かめる必要を悟り、人体解剖の機会を待ち続けた。1754年(宝暦4)京都において死刑囚の刑の執行があることを知った山脇東洋は、公の許しを得て刑死体の解剖に立ち会い、その実際を見ることができた。そのときの記録をまとめたのが『蔵志』という書である。この書は、今日の解剖学からみれば誤りも少なくないが、解剖がいかに重要であるかを強く主張する大きな因となった。当時にあっても、人体の解剖を禁じた大宝律令(たいほうりつりょう)以降の思想的影響が残っており、死体を傷つけたり、解剖することは非人道的で、不条理な行為と考えられていたため、解剖はきわめて困難な状況にあった。しかし、山脇東洋の学問に対する熱意が、このような難関を越えて、そのときの京都所司代を動かしたのであった。これを機に日本でも盛んに解剖が行われるようになった。

 日本の解剖学が学問的体系をもち始めるきっかけとなったのは『解体新書』の完成であった。1771年(明和8)3月4日、杉田玄白、前野良沢(りょうたく)、中川淳庵(じゅんあん)らは江戸の小塚原の刑場で女性の刑死体の腑分(ふわ)けを見学したが、そのとき参考にしたオランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の内容の正確さに感動し、この書の翻訳を決意した。翻訳作業には桂川甫周(かつらがわほしゅう)や石川玄常らの同志も協力し、1774年(安永3)本文4巻、図譜1巻からなる5冊の『解体新書』が完成した。これ以降、日本の解剖学も長足の進歩を遂げることになる。杉田玄白の著した『蘭学事始(らんがくことはじめ)』には、『解体新書』ができあがるまでの事情が詳しく記されている。

[嶋井和世]

植物解剖学

植物体の内部構造を明らかにする学問で、植物組織学ともいう。ミクロトーム(試料を一定の厚さの切片にする機器)などで数十マイクロメートル前後の薄切片をつくり、顕微鏡学的に細胞の種類、形、配列などを観察し記述する。はっきりとした植物の内部構造を最初に観察したのは、イギリスのグルーとイタリアのマルピーギである。その後、植物解剖学は生理学的背景を重視する方向と、比較研究に基づく分類学的立場をとる方向とに分かれて発展してきた。しかし、近代解剖学が、単に成体の内部構造だけをその研究対象としていないと同様に、最近では、植物の胚(はい)発生、形態形成の分野はもちろん、細胞の内部構造を明らかにする細胞学をも含めて、広義に植物解剖学とよばれることが多い。なお植物形態学とは、解剖学と、外部構造の解明を目的とする器官学の二つをさしている。

[杉山明子]

『チャールス・シンガー著、西村顕治・川名悦郎訳『解剖・生理学小史』(1983・白揚社)』『小川鼎三著『医学の歴史』(中公新書)』『酒井シズ著『解体新書(現代語訳)』(講談社学術文庫)』

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百科事典マイペディア 「解剖学」の意味・わかりやすい解説

解剖学【かいぼうがく】

生物体の外皮を切り開き解体して,外形とともに内部構造を観察記述する形態学の一分野。古くは肉眼だけにたよった肉眼解剖学であって,現在でも解剖学をこの意味に解することが多いが,最近は顕微鏡を用いて生物体の細かい構造を調べる顕微解剖学(組織学と同義)の発達がめざましい。研究対象により人体解剖学,動物解剖学,植物解剖学に分けられる。ただし植物学では解剖学は狭義には組織学と同義に用いられる。→美術解剖学

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世界大百科事典 第2版 「解剖学」の意味・わかりやすい解説

かいぼうがく【解剖学 anatomy】

主として生物体を〈解き剖(さ)いて〉,すなわち切り開いて,生物の構造について観察,記述,研究する学問。形態学の一分野。対象によって,人体解剖学human anatomy,動物解剖学animal anatomy,植物解剖学plant anatomyに大別される。
【解剖学の歴史】
 死んだ動物の体をばらばらにすることは,ことに肉食文化圏では,太古から行われていたにちがいない。人類の知恵がある水準にまで達し,医学的な関心をもって人体解剖が行われるようになったのはおそらくエジプト文明以後であろう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「解剖学」の意味・わかりやすい解説

解剖学
かいぼうがく
anatomy

生物の外部形態と内部構造を研究する学問。対象によって人体解剖学,動物解剖学,植物解剖学などに分けられる。さらに,顕微鏡を用いて微細な構造や細胞を観察することは組織学と呼ばれ,母体内の胎児の解剖学は発生学に含まれる。

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世界大百科事典内の解剖学の言及

【医学】より

…これは,大学の教科としても,基礎的なものであり,神学や法学を学ぶにしても,また医学を学ぶにしても,必修とされ,これらの科目の修了者に専門科目が教えられた。パリ大学の15世紀末の医学の科目としては,解剖学,熱病論,瀉血(しやけつ)法,食事療法,薬物学,病理学,外科学などがあり,それぞれ古典を中心に,教師の経験をおりこみながら講義がおこなわれた。同じころのドイツのライプチヒの医学教育の科目としては,午前中は1年目がイブン・シーナーの《医学典範》,2年目はガレノスの《小医典》,3年目はヒッポクラテスの《箴言(しんげん)》が講ぜられ,これらを理論医学とよんだ。…

【形態学】より

…いいかえれば,個体および個体以下のレベルでおこる生命現象のうち視覚的にとらえられるものを対象とするのが形態学であるが,対象物のレベルや研究目標によっていくつかに類別することができる。 ある一種の生物についてこのような研究がなされる場合は,多少とも生理的機能との関連があるため生理形態学ともよばれ,解剖学組織学細胞学発生学などがこれに含まれる。この種の形態学は,生体内の機能や作用を主対象とする生理学と対比されることが多い。…

【生物学】より

…採集,狩猟,農耕,原始医術などにおける実地の知識は,原始時代から積み重ねられてきたはずだが,学問として体系化した最初の代表的人物はアリストテレス(前4世紀)であった。ガレノス(2世紀)はさらに医学の面から,解剖学およびこれと表裏一体のものとしての生理学の方向を確立した。これと,珍奇な生物や薬草の知識を主とする博物学とが,中世末までの生物学の内容であった。…

※「解剖学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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