精選版 日本国語大辞典 「講」の意味・読み・例文・類語
こう【講】
こう‐・ずる カウ‥【講】
こう・じる カウじる【講】
こう‐・ず カウ‥【講】
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地域社会をおもな母体として、信仰、経済、職業上の目的を達成するために結ばれた集団。構成員を講中とか講員という。本来は仏典を講説するための僧尼の会合やその団体を意味していた。現在でもそうした仏教関係の講は行われているが、講の内容は非常に多様化している。それらを大別すると、(1)信仰的講、(2)経済的講、(3)職業的講になる。
[佐々木勝]
同じ信仰をもつ者が結成している講で、寺社信仰に基づいた講と、伝統的な民俗信仰を基盤とした講とに分けることができる。前者は宗派や寺院、神社側が自らの教団を拡張するために組織した場合に多くみられ、信者の獲得や結束をその目的としている。浄土真宗の報恩講や日蓮(にちれん)宗の法華(ほっけ)講などがそれにあたる。仏教諸宗のなかでもとくに中世以後すさまじい勢いで一般民衆に浸透していった、いわゆる庶民仏教に特徴的にみられた組織づくりの手段であった。名刹(めいさつ)を対象とする永平寺講、善光寺講、成田(なりた)講などのようなものもある。また、熊野三山では平安時代の末期には御師(おし)の活躍があった。参詣(さんけい)の際に特定の僧の宿坊に泊まって祈祷(きとう)を依頼するほどのものだが、その御祈祷師を略して御師とよぶようになり、各地の信者と師檀関係をもつようになったのである。のちに伊勢(いせ)、賀茂(かも)、八坂(やさか)、北野社などでも御師制度が取り入れられた。彼らの主任務は宿泊の手配や御札の頒布だが、全国各地に代参講を結成させる原動力となった点は見逃せない。伊勢講はそのもっとも典型的なものといえる。そのほか、秋葉講、稲荷(いなり)講、金毘羅(こんぴら)講、津島講、榛名(はるな)講、富士講、古峯(ふるみね)講、三峯(みつみね)講など、それぞれの御利益(ごりやく)と結び付いて数えきれないほど存在している。そうしたなかには、大峰講や出羽(でわ)三山講、石鎚(いしづち)講のように山岳信仰から発展した修験道(しゅげんどう)の色彩の濃厚なものや、大社(たいしゃ)講や扶桑(ふそう)講のように教派神道系のものもある。
以上のような寺社信仰に基づいた講を細分化すれば、仏教系統と神道系統の講になるが、いずれも信仰の対象は居住する村落外にあって代参講の方式をとっている。代参講は、信仰の対象である寺社に参詣するために講中から代参人をたてるものである。くじや輪番によって決まった代参人は、積み立てた講金を旅費や参拝料にあてて、講中の御札(おふだ)を受けてくるのである。したがって、こうした講は本質的には崇敬者の任意団体ということになるのだが、中世以来の伝統をもつ伊勢講や、地域社会の共通の利害と結び付く講などでは地域単位で参加している場合が多い。
これに対して、民俗信仰を基盤にした講は村落内において営まれるのが普通である。山の神講や田の神講などは、それを保持する地域社会の諸条件に対応してさまざまな形態を生み出してはいるものの、村落などの一定地域全体が一つの単位となって形成されている場合が多いのである。そうした所では、山の神講や田の神講の講日が同時に村寄合(よりあい)の日ともなっていることが多い。山の神講はたいてい春秋二季に行われる。あらかじめ決められている当番の家に集まって、山の神の祭場に参拝したり、掛軸を拝したりしてから共同飲食をする。一方、田の神講は田植時や収穫時に同様の集まりをもつ。田植前に行う所では御籠(おこも)りをすることもある。いずれも作業の安全や五穀豊穣(ほうじょう)を願うのが主旨である。同じようなものに、社日(しゃにち)講、日待(ひまち)講などがある。また、特定の御利益を目的としたものに、子安(こやす)講や観音講や地蔵講、さらには念仏講などがある。これらはその目的が限られているので、講員もおのずと限定されることになり、村落内でも婦人層で構成されている。しかも、子安講は若年層、念仏講は老年層というように年齢によって支持される講が異なることもある。子供によって営まれる天神講などは顕著である。正月の25日に年長の子供の家を宿にして集まり、習字などをしたあとで五目飯をこしらえて食べ合う。天神様が学問の神様ということから子供と結び付いたものだろうが、房総あたりでは男天神・女天神として性別によっているものまである。
民俗信仰に基づく講をあげてきたのだが、これらを特定の神霊を意識した講だとすれば、庚申(こうしん)講や十九夜(じゅうくや)講・二十三夜講は特定の日時を意識した講といえる。庚申講は干支(かんし)の庚申(かのえさる)の日に身を清めて集まり、掛軸を拝して般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱えてから、世間話などをして夜を徹する講である。各地に「話は庚申の晩に」という語が残っているほどである。十九夜講も二十三夜講も月待(つきまち)の一種であるが、現在は女性を中心とした講になっている。庚申講にしても月待の講にしても、もとは御籠りを目的とした講というが、この種のものはしだいに家ごとの祭りになりつつある。旧暦11月23日の大師(だいし)講は、講とよばれてはいるものの家ごとの祭りである。元来は神の御子(みこ)を迎え祀(まつ)るという意味合いのものだったようだが、集団で祀るという事例はいまのところ皆無である。
[佐々木勝]
経済上の相互扶助を目的としたもので、物品や金銭そして労力の融通の必要によって結成された講である。これももとは寺院内部の金融講から発展したといわれており、信仰的講の副次的なものだったようである。現状から頼母子(たのもし)講や無尽(むじん)講など金品を中心とした金融講と、労働力を中心とする労働講に分けられる。頼母子講とか無尽講などの金融講は通常、親とよばれる発起人を中心に形成される。一定の口数を決めてそれに応じて掛け金を集め、くじや入れ札による順序に従って金品を受け取るのである。講中に行き渡れば満了となって解散する。金銭の場合には金(かね)頼母子といい、物品の場合には対象となるものに応じて、萱(かや)頼母子とか畳無尽、米講、籾(もみ)頼母子、布団(ふとん)頼母子、牛頼母子、箪笥(たんす)頼母子などとよばれた。労働講にはモヤイ講、ユイ講などがある。モヤイには共同とか共有とかの意味合いが強く、共同作業の必要に応じて親しい者同士が組むといったものである。労力の貸し借りを目的とした集まりではない。これに対して、ユイは労働力の交換が原則である。だから対等な交換でない場合には物品などで補うことになる。屋根替えや田植、収穫などどうしても共同の力に頼らなくてはならない場合に広く行われる。隣近所や組など地縁的な家同士の結合である。
[佐々木勝]
職業集団によって組織される講で同業組合的な要素が強い。山の神講は、農民によって営まれるものと、山仕事に携わる人々によって営まれるものとの2種がある。信仰的講で取り上げたのは前者である。後者の山の神講は、炭焼き、猟師、木樵(きこり)などの山稼ぎをする者だけに限られたものである。講日はさまざまだが、この日はかならず仕事を休むという共通点がある。山の神の像を掛けて、尾頭(おかしら)付きの魚や赤飯などを供えて祀る。太子講は大工、左官、屋根屋、鍛冶(かじ)屋、桶(おけ)屋などの職人によって営まれる、1月と8月の日待講である。そのほか、馬子(まご)で組織される(馬頭)観音(かんのん)講、牛方による大日(だいにち)講、北関東の狩猟者による諏訪(すわ)講、商人による夷(えびす)講などがよく知られる。
[佐々木勝]
『柳田国男編『山村生活の研究』(1938/復刻版1975・国書刊行会)』▽『桜井徳太郎著『講集団成立過程の研究』(1962・吉川弘文館)』
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本来は経典を講説する僧衆の集会のこと。のちに信仰行事とそれを担う集団,さらに共通の利益のための世俗的な行事とその社会集団をいう。9世紀に入ると法華経の読誦が流行して法華八講が広まり,一般に法会(ほうえ)に講の名称をつけるようになった。やがて法会を担う崇敬者の集団も講名でよばれ,さまざまな信仰集団にも用いられた。山の神講・海神講・氏神講・鎮守講・宮座講・観音講・地蔵講・念仏講・富士講・出羽三山講などがある。世俗的な集団も講でよばれるようになり,頼母子(たのもし)講・無尽(むじん)講などがある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…仏教の法会に,経典の題名や内容の講経と説経をすること。講経は多く竪精(りつせい)論義という形式をとり,経典の講義にディスカッションを付けるが,講説の場合は講経と説経で,説経は講経を平易にし,例話や比喩でおもしろくしたものである。…
…鎌倉時代以降行われた金融組織の一つ。人々が集まって講を結成し,少額の米穀・銭貨を拠出して抽選その他の方法で講中の者に融通した社会慣行。《下学集》に〈少銭を出して多銭を取る,これを憑子というなり〉と説明するように,〈憑子〉あるいは〈頼子〉〈憑支〉〈資支〉などとも表現され,《節用集》に〈また合力という〉とあるように,合力銭,助成銭などとも称された。…
…日の出を待って夜明しをするので日待というといわれる。宗教的な講の集会を一般に日待と呼ぶこともある。集りの日取りにより,甲子待(きのえねまち),庚申待(こうしんまち)などと称しているが,十九夜待,二十三夜待,二十六夜待などは月の出を拝む行事で,日待と区別して月待と呼ぶ。…
…ただみやげの習慣が今日のように盛行するのは,その前提となる旅や交通の発達を抜きには考えられず,参勤交代の制が確立し街道が整備され,また先達(せんだつ)や御師(おし)の活躍で庶民の間にも社寺参詣の旅が普及する近世中期以降のことと思われる。普及したといってもかつての旅は,交通手段の未発達はもとより金銭的な面からもだれしもが容易に行えるものではなく,そこで庶民は伊勢講,善光寺講といった講を組織し,費用を積み立て講中の代表者を代参に立てる形式をとった。こうした集団の総意を負った旅において,代参人は参拝した神仏の御利益・恩恵を持ち帰って講員にわかつ義務があり,またそれを具象化したものがみやげであったといえる。…
※「講」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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