精選版 日本国語大辞典 「譜代大名」の意味・読み・例文・類語
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
江戸時代における大名類別の一つ。世襲的な主従関係をもつ家臣を譜代といい、鎌倉時代以降武士の間で発生した。江戸時代においては、関ヶ原の戦い以降、新しく徳川氏に帰属した外様(とざま)大名に対し、徳川氏の家臣団のなかから大名に取り立てられた者を譜代大名と称した。徳川家康による譜代大名の拡大政策は、歴代将軍によって強力に推進され、徳川氏を支える強力な基盤となった。最高は井伊氏の35万石。5万石以下の小大名が多い。しかし、譜代大名は全国の要地に配置され、老中・若年寄(わかどしより)、寺社奉行(ぶぎょう)、京都所司代(しょしだい)、大坂城代などの要職を独占し、幕政を執行する重要な立場にあった。
[藤野 保]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
江戸時代の大名の家格を将軍との関係を中心として分類する場合のまとまりの一つ。徳川氏の三河以来関ケ原の戦以前の家臣団のなかから,大名にとりたてられた者。徳川氏は外様大名との対抗上,譜代大名の創出と関東・畿内を中心とした全国要地への配置を進め,しだいに全大名数の過半を占めるようになった。ほとんどの場合,老中以下の幕府要職には譜代大名が任じられた。規模は35万石の井伊氏を最高として,大部分が5万石以下の小大名。幕府の役職就任などにともない,江戸後期まで転封が多く,また幕領や旗本領との入組みで分散知行の形態となり,外様大名にくらべて自領の一円的支配は困難であった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…しかし19世紀になると諸大名が独自に国産の開発にのり出したことや,さらに開港後の外国貿易による混乱を統制しきれず,崩壊の一因となることを防げなかった。
【組織】
幕府は譜代大名と旗本,御家人から成る軍事組織であり,その長である将軍が全国を行政的に支配するものであった。大名の所領支配は形式上は独自性が認められていたが,実質的には大名は幕府の意図を忖度し,それにそった施政を行った。…
…幕府自身の囲米としては,幕初から年貢米の一部が米蔵に蓄えられており,1843年(天保14)には江戸浅草御蔵に14万石のほか小菅,大坂,二条,駿府など合計55万石であった。大名には,1633年(寛永10)以来,城詰米と称して宇都宮,松本,諏訪,膳所藩など要地の譜代大名に幕府米の貯蔵と詰替えを命じている。これらは幕府の全国支配の一環として軍事上や飢饉対策,米価調節に利用された。…
…又者(またもの)あるいは又家来という意味である。
[大名の類別]
大名は,その経歴,取立てによって旧族大名,織豊大名,徳川系大名(徳川一門=親藩,譜代大名)に分類される。旧族大名は戦国大名から近世大名に転化したもの。…
…江戸時代における大名類別の一つ。徳川氏は関ヶ原の戦による覇権確立以降,自己の一門,家臣のなかから多数の大名を取り立てたが,これを親藩,譜代大名とよんだのに対し,旧族大名や豊臣系の大名で,新しく徳川氏に服属した大名を外様大名と称した。なかには外様大名の子弟で譜代大名になったものもある。…
※「譜代大名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
大阪府中部,大阪市の中央部にある運河。東横堀川から中央区の南部を東西に流れて木津川にいたる。全長約 2.5km。慶長17(1612)年河内国久宝寺村の安井道頓が着工,道頓の死後は従弟の安井道卜(どうぼ...
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新