精選版 日本国語大辞典 「貞徳」の意味・読み・例文・類語
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江戸初期の文人。貞門俳諧(ていもんはいかい)の中心人物。松永氏。別号は逍遊(しょうゆう)、長頭丸(ちょうずまる)、明心、延陀丸(えんだまる)、花咲の翁など多い。祖先は入江氏で、摂津(大阪府)高槻(たかつき)城主だったが、祖父の代に没落、父の代に松永氏に改めた。父永種は連歌師で広い知己を有し、その縁と恭順な人柄とで貞徳は多くの良師に恵まれ、師の数五十余人に及んだという。なかでも和歌、歌学を『源氏物語』研究の権威九条稙通(たねみち)に、その後当代歌学の権威細川幽斎(ゆうさい)に、連歌を里村紹巴(じょうは)に学び、友人先輩としては藤原惺窩(せいか)、林羅山(らざん)、木下長嘯子(ちょうしょうし)らがいた。これら師友に恵まれ近世初期地下(じげ)歌人歌学者の第一人者になった。門下に北村季吟(きぎん)、加藤磐斎(ばんさい)、木瀬三之(きせさんし)、和田以悦(いえつ)、望月長好(もちづきちょうこう)、深草の元政上人(げんせいしょうにん)、打它公軌(うったきんのり)、山本春正らがあり、編著に『徒然草(つれづれぐさ)慰草』『堀川百首肝要抄』『歌林樸樕(ぼくそう)』『逍遊愚抄(しょうゆうぐしょう)』『戴恩記(たいおんき)』など多数がある。この間大村由己(ゆうこ)の手引きで一時秀吉の祐筆(ゆうひつ)を勤め、1603年(慶長8)には林羅山、遠藤宗務らと古典公開講座に参加して『徒然草』を講じ、慶長(けいちょう)(1596~1615)末年以後三条衣棚(ころもだな)の自宅に私塾を開き、一般庶民の子弟に初等一般教育を施した。この私塾から木下順庵(じゅんあん)、伊藤仁斎、林春斎、林守勝や俳人の貞室、西武(さいむ)らが出た。
一方、文芸の庶民化という時代の趨勢(すうせい)に対する認識と諧謔(かいぎゃく)を好む個人的嗜好(しこう)と相まって、狂歌、俳諧においても指導的役割を演じた。狂歌には『貞徳百首狂歌』があり、また門人の作を多く批評添削した。俳諧では慶長・元和(げんな)(1615~24)のころすでに俳諧好きとして知られ、寛永(かんえい)(1624~44)中ごろには全国俳壇の中心人物になり、貞門という俳諧史上初の一大集団を形成し、俳諧は「俳言(はいごん)を以(もっ)てつくる連歌」と明快に規定し、平易卑俗なところが和歌や連歌よりも時代に適しているとして、俳諧を全国津々浦々にまで普及させた。門下は重頼(しげより)、立圃(りゅうほ)、令徳(りょうとく)、西武、貞室、季吟、安静(あんせい)、梅盛(ばいせい)ら無数。編著には門人に編集させた『犬子(えのこ)集』『鷹筑波(たかつくば)集』『崑山(こんざん)集』『久流留(くるる)』、自編の秘伝書『天水抄』、式目書『御傘(ごさん)』、付合(つけあい)指導書『新増犬筑波集』など多数がある。
[森川 昭]
『小高敏郎著『松永貞徳の研究』正続(1953、56・至文堂)』
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1571~1653.11.15
江戸前期の俳人・歌人・歌学者。父は永種。姓は松永。名は勝熊。別号は長頭丸・逍遊など。京都生れ。紹巴(じょうは)から連歌を,九条稙通(たねみち)・細川幽斎に和歌・歌学を学ぶ。俳諧は連歌・和歌への入門段階にあると考え,俗語・漢語などの俳言(はいごん)を用いるべきだと主張。俳風は言語遊戯の域を脱しないが,貞門俳諧の祖として一大流派をなし,多くの逸材を輩出。式目書の「俳諧御傘(ごさん)」,指導書の「油糟(あぶらかす)」「淀川」のほか,「前車(まえぐるま)」「貞徳文集」「戴恩記(たいおんき)」の編著がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…俳諧の連句集。松永貞徳ら著。1655年(明暦1)刊。…
…俳諧論書。松永貞徳著。1651年(慶安4)刊。…
…俳諧論書。貞徳著。1643年(寛永20)刊。…
…談林(だんりん)の新風・異風に対して古風・正風ともいう。〈貞門〉とは松永貞徳(ていとく)の俳門の意。俳風の上から宗鑑(そうかん),守武(もりたけ)(荒木田守武)以来の俳諧を,流派の上から18~19世紀の貞山,天来あたりまでを加えて貞門と呼ぶこともあるが,一般的には貞徳を盟主とする俳諧集団とその俳風をいう。…
…俳諧論書。貞徳著。1644年(正保1)成立。…
…〈俗言(ぞくごん)〉〈ただごと〉〈ひらことば〉ともいう。俳文芸ジャンルの確立をめざす貞徳は,〈抑(そもそも)はじめは誹諧と連歌のわいだめ(区別)なし。其の中よりやさしき詞(和語,歌語)のみをつゞけて連歌といひ,俗言を嫌はず作する句を誹諧といふなり〉(《御傘(ごさん)》)と,用語のうえから俳諧,連歌を区別した。…
…しかし真の意味の俳論は,文芸の一ジャンルとして確立された〈俳諧之連歌〉の論でなければならない。 貞門においては,松永貞徳の〈十首式目歌〉(1628成立)を嚆矢(こうし)として85部の俳論が書かれた。俳諧の文学的確立に当たっていたため式目作法に関するものが圧倒的に多く,また連歌との区別が〈俳言〉の有無に求められたため語彙季寄(きよせ)の類も多く出されたが,俳諧の盛んになるにともない付合(つけあい)技法論も活発に行われるに至った。…
※「貞徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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