赤保木瓦窯跡(読み)あかほぎかわらかまあと

国指定史跡ガイド 「赤保木瓦窯跡」の解説

あかほぎかわらかまあと【赤保木瓦窯跡】


岐阜県高山市赤保木町にある窯跡。高山市街地の北西方、見量(みはか)山丘陵の東南麓斜面に位置し、約70m2の範囲に6基の窯跡が発見されている。瓦の焼成窯である4基(1・2・3・4号)の半地下式有段式登り窯と、須恵器窯(すえきがま)だった2基(5・6号)の半地下式登り窯からなる。1号窯は全長8.34m、幅0.75mで、焼成室は16段あり、2度修復されていた。2号窯は全長9.38m、幅1.08mで、天井部分が現在も完全に残っており、焼成の途中で放棄されたと思われ、4度修復されていた。3号窯は全長8.14m、幅0.7mで、焼成室は段数が6段で各段の幅が広く、他のものと異なり、3度修復されている。4号窯は2号窯と3号窯との間に位置するが、未調査の部分が多い。これら4基の窯の築造は、4・2・3・1号の順序で、各窯は出土した軒瓦(のきがわら)の文様からほぼ同様のものを焼成しており、国分寺造営にともなって短期間に1基ずつ窯を作り替えながら焼いたと考えられる。瓦窯跡からは軒丸瓦軒平瓦のほか、鬼瓦、隅蓋(すみぶた)瓦など、各種の道具瓦が多数出土している。なかには飛驒国分寺の屋根瓦同種のものもあり、国分寺への供給瓦を焼成した窯跡と考えられている。国分寺造営の奈良時代後期~平安時代の窯跡が、1ヵ所に集中して継続経営されている点できわめて特色のある重要な遺跡である。1976年(昭和51)に国の史跡に指定された。JR高山本線高山駅から車で約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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