江戸初期の蕉門(しょうもん)俳人。姓は越智(おち)。通称十蔵。別号負山子(ふざんし)、槿花翁(きんかおう)。北越の人。早く名古屋に出、染物屋を営む。芭蕉(ばしょう)への入門は1684年(貞享1)か。越人の句は86年刊『春の日』に初出。87年11月、罪を得て三河保美村に隠棲(いんせい)する杜国(とこく)を、芭蕉とともに訪れ、翌年8月には芭蕉の『更科(さらしな)紀行』の旅に従って江戸に入り、蕉門諸家と交わる。その後、荷兮(かけい)、野水(やすい)らとともにしだいに芭蕉から離反。1700年(元禄13)前後から十数年、俳壇を遠ざかる。15年(正徳5)歳旦帳(さいたんちょう)を出版して復帰。『不猫蛇(ふみょうじゃ)』などによって支考(しこう)を難じ、論争をおこす。彼の俳諧(はいかい)観は初期蕉風の尊重にあった。墓所は名古屋・長円寺。編著は『鵲尾冠(しゃくびかん)』『三つのかほ』『庭竈(にわかまど)集』など。
[岡本 勝]
うらやまし思ひ切る時猫の恋
『宮本三郎著「越智越人」(『蕉風俳諧論考』所収・1974・笠間書院)』
江戸前期の俳人。姓は越智,通称は十蔵。別号は負山子,槿花翁。北越の人。名古屋に出て《冬の日》の連衆野水(やすい)(呉服商)の世話で染物屋を営む。芭蕉への入門は1684年(貞享1)か。86年刊《春の日》の連句に出座,また発句9句を寄せた。87年11月,芭蕉に従い,三河保美に罪を得て隠栖する杜国(とこく)を訪ねる。88年8月,芭蕉の《更科紀行》の旅に同行。江戸深川の芭蕉庵にしばらく滞在し,其角,嵐雪ら蕉門の徒と風交を重ねる。《曠野(あらの)》《ひさご》《猿蓑(さるみの)》にも入集するが,荷兮(かけい)らと共に,しだいに芭蕉に批判的な様子を見せ,10余年間,俳壇から姿を消す。晩年,《不猫蛇(ふみようじや)》等を著し,支考と論争する。編著は《鵲尾冠(しやくびかん)》等。〈うらやましおもひ切る時猫の恋〉(《猿蓑》)。
執筆者:岡本 勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1688年(元禄1)冬から翌年春にかけての成立(異説もある)。88年8月11日越人(えつじん)と荷兮(かけい)の召使を連れて木曾路をたどり,姥捨の月を賞し,翌日善光寺にもうで,長野から碓氷峠を経て月末江戸に帰るまでの紀行作品で,構成は前半に文章,後半に発句を置く。冒頭に〈さらしなの里,姥捨山の月見ん事,しきりにすゝむる秋風の心に吹きさはぎて〉とあり,この作品が姥捨月見の記であることを示す。…
…許六の〈師の説〉に〈十哲の門人〉と見えるが,だれを数えるかは記されていない。その顔ぶれは諸書により異同があるが,1832年(天保3)刊の青々編《続俳家奇人談》に掲げられた蕪村の賛画にある,其角,嵐雪,去来,丈草,許六(きよりく),杉風(さんぷう),支考,野坡(やば),越人(えつじん),北枝(各項参照)をあげるのがふつうである。【石川 八朗】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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