(読み)チョウ

デジタル大辞泉 「趙」の意味・読み・例文・類語

ちょう〔テウ〕【趙】

中国、戦国時代の国。戦国七雄の一。の大夫の趙氏が氏・氏とともに晋を滅ぼし、その領土を3分して独立。前403年、諸侯に列せられ、現在の山西省北部、河北省東部を領有。都は晋陽(太原)、のち邯鄲かんたん武霊王の時に最も栄えたが、前222年、に滅ぼされた。

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精選版 日本国語大辞典 「趙」の意味・読み・例文・類語

ちょうテウ【趙】

  1. 中国の国名
  2. [ 一 ] 戦国の七雄の一つ(前四〇三‐前二二二)。晉の大夫の趙氏が、晉陽(太原)、ついで邯鄲を都として山西省北半から河北省の東南を領有、一時勢威をふるったが、秦に滅ぼされた。
  3. [ 二 ] 五胡十六国の一つ(三〇四‐三二九)。南匈奴の劉淵の建てた国。最初の国号は漢。西晉を滅ぼし、長安を都として国号を趙に改めたが、その臣石勒に滅ぼされた。前趙。
  4. [ 三 ] 五胡十六国の一つ(三一九‐三五一)。匈奴系羯(けつ)族の石勒の建てた国。鄴(河北省磁県)を都としたが、漢人の冉閔(ぜんびん)に滅ぼされた。後趙。

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百科事典マイペディア 「趙」の意味・わかりやすい解説

趙【ちょう】

(1)中国,戦国の七雄の一つ。を3分して,前453年自立。前403年には周王により諸侯に列せられた。山西北半〜河北を領有。初め晋陽(現,山西省太原),のち邯鄲(かんたん)に都した。前222年に滅ぼされた。(2)中国,五胡十六国の一つ。前趙と後趙に分かれる。a.前趙(304年―329年)。匈奴(きょうど)の劉淵が自立して漢王と称し,308年皇帝を号する。その子の劉聡は316年西晋(晋)を滅ぼした。318年一族の劉曜は都を長安に定めて趙と改称。これに対して部将の石勒(せきろく)も別に趙を建国,東西に分裂した。b.後趙(319年―350年)。石勒が前趙から分かれて建国。329年前趙を滅ぼし,華北の大半を領有したが,漢人の将軍冉閔(ぜんびん)に国を奪われた。
→関連項目邯鄲遺跡春秋戦国時代

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「趙」の解説

趙(ちょう)
Zhao

①〔戦国〕前403~前222 戦国の七雄の一つ。領域は山西省北半,河北省南東にわたる。の有力家臣であった趙氏が,氏,氏とともに晋を3分して諸侯となった。都は前386年以降邯鄲(かんたん)。武霊(ぶれい)王(在位前325~前299)のとき遊牧民族の戦闘方式を取り入れて軍事改革を断行し,領域を拡大した。その後も藺相如(りんしょうじょ),廉頗(れんぱ),趙奢(ちょうしゃ)らの名将によって国力は維持されたが,前262年長平の戦いに大敗後はに侵蝕され,前228年邯鄲は陥落,前222年滅亡した。

②〔五胡十六国〕前趙と後趙がある。(1)前趙(304~329)前身は漢といい,山西の南匈奴(きょうど)劉淵(りゅうえん)が自立して建てた王朝で,平陽を都とし,弟劉聰(りゅうそう)のとき洛陽,長安を陥れ西晋を滅ぼした。319年一族の劉曜(りゅうよう)が国を奪って趙(前趙)と称し,長安を都とした。(2)後趙(319~351)羯(けつ)族の将石勒(せきろく)が襄国(じょうこく)(河北)を都として建てた王朝。前趙を併合したが,のち従子石虎(せきこ)が国を奪って鄴(ぎょう)(河北)を都とした。その死後内紛なか漢族の将軍冉閔(ぜんびん)に滅ぼされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「趙」の意味・わかりやすい解説

趙 (ちょう)
Zhào

中国,五胡十六国の一つ。前趙ともいう。南匈奴の劉淵が304年(元煕1)西晋八王の乱に乗じて建国したもので,平陽(山西省臨汾県)を首都とした。はじめ漢と称したが,劉曜のとき趙と改めた。第2代劉聡は311年(嘉平1)西晋の首都洛陽を占領永嘉の乱),ついで長安を攻略して西晋を滅ぼし,五胡十六国時代がここに始まった。劉聡は華北一帯に覇を唱えたが,帝権の無軌道な拡張国家が乱れた。その死後宗室の劉曜が長安によって政権を継承したが,329年(光初12)後趙の石勒(せきろく)に併呑された。
五胡十六国
執筆者:


趙 (ちょう)
Zhào

中国,五胡十六国の一つ。後趙ともいう。羯(けつ)族の石勒(せきろく)ははじめ前趙に臣属していたが,前混乱に乗じ華北地方東半部を蚕食して趙王国を建て,前趙を併呑して330年(建平1)帝位についた。後趙は鄴(ぎよう)(河南省安陽県)を首都としてほぼ華北全土を領有し,第3代石虎のとき匈奴系国家として最盛期にあった。しかし宗室内部の権力争いが国家を解体にみちびき,石虎の死後内乱状態となり,350年(青竜1)石虎の養子冉閔(ぜんびん)に政権を奪われた。
五胡十六国
執筆者:


趙 (ちょう)
Zhào

中国,戦国七雄の一つ。前403-前222年。その祖は春秋の晋の大夫。趙衰が晋文公の覇業をたすけて勢力を得,六卿の一つとして国政を握る。前453年韓・魏と知氏を滅ぼして晋を三分し,前403年周王より独立を認められた。晋陽(山西省太原)を根拠とし,のち邯鄲(河北省邯鄲)にうつったが,その勢力は河北・山西北部にあった。武霊王が遊牧民から騎馬戦法を学び,前296年中山国を滅ぼし,北辺に進出した。しかし前262年,長平で秦に大敗してより急速に衰え,前222年秦に滅ぼされた。
春秋戦国時代
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「趙」の意味・わかりやすい解説


ちょう

中国、戦国時代の国名。晋(しん)に仕えていた大夫(たいふ)の趙氏が、紀元前403年、韓(かん)氏、魏(ぎ)氏とともに晋を三分して独立した諸侯となり、晋陽(太原(たいげん)市)に都を置いたときから始まる。現在の山西省北部、河北省南東部を領有し、戦国七雄の一つに数えられる。前4世紀末に初めて王を称した武霊(ぶれい)王(在位前325~前299)は遊牧民特有の騎馬戦法を採用して諸国に威力を示し、次の恵文(けいぶん)王(在位前298~前266)は都を邯鄲(かんたん)に移し、中山(ちゅうざん)王国を滅ぼし、代(だい)(河北省蔚(うつ)県)から陰山(いんざん)山脈に沿って内モンゴルに至る長城を築いて勢力を誇った。しかし、同時にこのころから秦(しん)の攻撃をしばしば受け、平原君の活躍などにより以後、4代にわたって国を維持したが、前228年に秦に邯鄲を落とされ、前221年に亡命中の王子嘉(か)が殺されて滅亡した。

[太田幸男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「趙」の意味・わかりやすい解説


ちょう
Zhao; Chao

中国の戦国時代の諸侯。七雄の一つ (前 453~222) 。その祖先は周の穆王に仕えた造父 (ぞうほ) といわれ,春秋時代には晋の六卿の一つとして活躍した。春秋時代末期に趙鞅は范氏,中行氏を滅ぼし,その子趙無恤は知伯氏を討ち (前 453) ,韓氏,魏氏とともに晋を3分して自立した (戦国時代) 。晋の烈侯 17 (前 403) 年正式に諸侯となり,敬侯1 (前 386) 年都を邯鄲に営んだ。戦国時代中期,武霊王は胡服を採用し,騎射を修得させるなど北方民族の戦法を取入れ,軍制を改革して北地を攻略し,をうかがった。しかし戦国時代後半には秦の圧迫を受け,廉頗,藺相如,あるいは平原君ら名将の活躍もあったが,長平に大敗して (前 262) 衰え,王遷8 (前 228) 年秦に滅ぼされた。その際王子嘉は代 (河北省蔚県) に逃れて自立したが,やがてこれも滅ぼされた (前 222) 。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【孝宗】より

…在位1162‐89年。姓名は趙(ちようしん)。宋太祖7世の孫。…

【崖山の戦】より

…元の侵攻で,1276年(景炎1)国都臨安を明け渡した宋王朝の一部は,張世傑や文天祥らに支持され,福建,広東と逃げまわって再起をはかった。78年(祥興1)8歳の衛王趙(ちようへい)を擁立した張世傑らは崖山で元将張弘範の大軍を迎え撃ったが敗れ,陸秀夫(1236‐79)が,平家壇ノ浦の戦そのままに趙を背負って海中にとびこみ,300年の宋王朝は幕を閉じた。【梅原 郁】。…

【春秋戦国時代】より

…前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。前453年で二分するのは,春秋の大国晋の家臣であった韓・魏・趙の3代が主家を三分独立し,晋は事実上滅亡し,以後戦国の七雄といわれる韓・魏・趙・楚・斉・燕・秦の対立抗争の時代となるからである。
[歴史]
 《史記》によれば,春秋初めには140余の小国が分立していたが,勢力のあったのは,魯(山東省曲阜),斉(山東省臨淄(りんし)),曹(山東省定陶),衛(河南省淇県,のち滑県),鄭(河南省新鄭),宋(河南省商丘),陳(河南省淮陽(わいよう)),蔡(河南省上蔡,のち新蔡,さらに安徽省鳳台),晋(山西省曲沃),秦(陝西省鳳翔,のち咸陽),楚(湖北省江陵,のち河南省淮陽,安徽省寿県),燕(北京市)の十二諸侯であり,洛陽には周王室があった。…

※「趙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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